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2008年4月

2008年4月30日 (水)

中国の「銀聯カード」、日本での利用が急拡大!

中国の一般消費者のBuying Power、恐るべし!

2008年4月29日(火)の日経新聞朝刊12面に、「中国カード「銀聯」利用急増」「昨年度決済5倍の40億円」「ビックカメラは10倍に」という見出しが躍っています。

まあでも、中国の一般消費者と言っても、13億人のうちの一部の富裕層のことだと思いますが、それにしても、最近の消費力は凄まじいです。

先日、銀座の某クライアントのところでミーティングがあったのですが、「最近は中国の人ばっかりで。。。両手に大きい袋を抱えた人は間違いなく中国人の買い物客ですね。銀座の高級ショップではもう日本人は少ないように思います。でも、最近は外見だけだと見分けがつかなくなって来ましたね。みなオシャレになって。話しているのが中国語だとわかると中国人だとわかりますが、大きな袋を抱えていない人は、見掛け上はもう日本人と区別できないです。。。」とおっしゃっていました。

ここ10年での大きい変化だと思います。こういった変化に注目して行かなければなりません。我々日本人も新しい経済環境の中で変わって行かなければなりませんから。

胡錦濤 中国国家主席、来日間近。

先の韓国イ・ミョンバク大統領に続き、中国の胡錦濤国家主席がもうすぐ来日です。”北東アジア”の協調体制に向けて、ポジティブな会談になることを祈ります。

北京オリンピックまであと100日

あと100日となりました。北京オリンピック聖火も中国入り。5月2日から香港を皮切りに中国本土を隈なく回ります。

まだまだいろいろと課題の多い北京オリンピック。どうなることでしょう。無事の開催を祈ります。

東アジア人は”北海道”がお好き?

仕事がら台北にはよく行きますが、現地では、”北海道”が大人気です。一大ブランド化しています。友人たちはみんな北海道に行きたい、北海道に行きたいって言うんです。最初は何故なんだろうと思っていました。我々日本人にとっては、外国人はフツー京都・奈良がお好きなハズ、というイメージがあります。が、そうではないのです。

2008年4月30日(水)の日経新聞7面に、日経新聞が実施した「訪日意向調査」のデータが掲載されています。

①北海道(50。0%)

②東京(41・9%)

③富士山(31.6%)

④東京ディズニーランド・ディズニーシー(22.9%)

⑤大阪(15.7%)

⑥京都(15.2%)

⑦沖縄(12.6%)

⑧ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(6.9%)

⑨別府温泉(6.3%)

⑩広島(6.3%)

北海道がダントツ1位です。京都はベスト5に入っていないんですね。東京ディズニーランドは若い人に人気です。「ライブ台湾」でVOD配信をやっている「模范棒棒堂」という台湾の若者に大人気のオーディション番組があるのですが、メンバーたちが自分の宝物を紹介する時に、「親に連れて行ってもらった東京ディズニーランドで買ってもらった○○○」と自慢するメンバーが結構いるんですね。それはそれはもう日本の若者と変わらないですよ。日本のエンタメ文化はリアルタイムで台湾に入って行っています。でも、その逆(台湾→日本)については、悲しいかな、ほとんどないですね。我々はもう少し隣人のことを知った方がいいですね。良いところがいっぱいありますから。

”北東アジア共同体”という考え方

2008年4月29日(火)の日経新聞朝刊の1面と9面に、”日中韓賢人会議”に関する記事と特集が大きく取り上げられています。それもそのはず、日経新聞がスポンサーの会議ですから。

ここのところ日経新聞で気になっていたのが、”北東アジア”という表現です。

今までは”東アジア””東アジア”といった表現を多く目にしていたのですが、最近になって”北東アジア”という表現が増えてきたように感じています。先の航空交通網の記事の時も”北東アジア”という表現を使っていました。

確かに、”東アジア”と一口に言うと、広すぎるのかもしれません。ASEAN10が位置している”東南アジア”に対して、日中韓は”北東アジア”に位置しています。そして、現在、東アジア共同体の話が盛んに議論されていますが、フタをあけてみると、ASEAN10は既に機構が出来上がっていて数十年の歴史をもっているので、これをコアにして、日中韓を加えて行こうだとか、インド・オーストラリア・アメリカまで含めようとか言っているわけです。

東アジア統合の成功のキーは日中韓の良好な関係にあると言われているので、”北東アジア”3カ国で先ずしっかりとFTAを結んで基盤を作ってからASEAN10と融合して東アジア共同体に昇華させるというステップが現実的かもしれません。

面白いな、と思ったのが第9面の右下に囲みで特集されていた「文化・教育」の分科会についての記事。三カ国の相互理解、青少年や教員の相互交流、”共同体構築のためには文化・教育分野での交流も重要”という言葉が散りばめられています。

まったくその通りだと思います。三カ国間、お互い隣人同士なのに偏見が強すぎて、お互いを正しく理解できていないと思います(我々だけに非があるわけではなく)。

現EU内のドイツとフランスはかつては犬猿の仲。隣人同士で戦争ばかりしていましたが、戦後、EU(EC)の枠組み中で、良き隣人の関係になって行きました。EU(EC)の元々の思惑は、欧州の平和のため、この犬猿の両者を二度とケンカさせないようにするためでもありました。不幸にして起こってしまった過去の世界大戦の反省の上に立っています。

東アジアにおいてもそういった枠組みが必要になって来ていると思います。

弊社アジア・リパブリック・エンターテインメント株式会社は、微力ながら、東アジア地域における文化面の相互理解のために、東アジアの隣人たちのエンタメ文化をお互いに紹介することによって、東アジアの平和に貢献したいと考えております。

2008年4月29日 (火)

キッカケは薩摩(鹿児島)? Part II (2)

本ページは姉妹ブログ「アジア! 華流! 台流! C-POP!」からの引用です(http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/part_ii2_56d6.html)。

本日も『篤姫』ネタ。

番組最後の予告編は、いよいよ来週はお輿入りか?というのを匂わせていましたね。それから、本日の本編の最後は大地震で薩摩藩の江戸芝本邸が崩落、一族は斉彬が用意していた渋谷屋敷に移ったのであった、という解説セリフがありました。

「キッカケは薩摩(鹿児島)? Part II」でふれたように、篤姫はこの渋谷屋敷から興し入れをしたようです(http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/part_ii_83b1.html)。「篤姫ゆかりの地」では、その渋谷屋敷跡が映像で紹介されていましたね。

さて、その渋谷屋敷からはどういったルートで江戸城入りしたのか?246?六本木通り?来週の『篤姫』で紹介されることでしょう。謎が解けます。

キッカケは薩摩(鹿児島)? Part IV

本ページは姉妹ブログ「アジア! 華流! 台流! C-POP!」からの引用です(http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/part_iv_34f7.html)。

調べれば調べるほど面白い西郷隆盛との時空を超えたランデブー。

本日のネタは、静岡県清水市(現在は静岡市清水)村松にある「鉄舟寺」について。

清水市村松は、自分が小学校3年生まで育った土地です。そして、「鉄舟寺」は子供の頃によく遊んだ場所。お寺に上がるまでの階段がキツイんですけど、子供の時はヘッチャラでした。

子供の頃は、「鉄舟寺」にどんな由来があるのか?なんてまったく知らずに遊んでいましたが、『篤姫』に感化されて、江戸末期~明治時代に関する本を読むうちに、江戸無血開城の話し合いをするために静岡の地で「山岡鉄舟」が西郷隆盛と会談、というクダリに到り、「もしや!」と思って調べてみると、その通りでした。あの「鉄舟寺」の鉄舟は、「山岡鉄舟」が由来だったんです。

「鉄舟寺」は、久能山の一部に鎮座しているのですが、久能山には徳川家の墓地があります。駿河の地、「日本平」のところです(徳川家の正式な墓地はあの有名な日光に遷されていますが)。「鉄舟寺」はもともと「久能寺」と呼ばれ、約1300年前に推古天皇によって建立された由緒あるお寺らしいのですが、明治維新の混乱で廃寺になってしまったのを「山岡鉄舟」が惜しんで再興に努力したと。その際、「清水の次郎長」の協力を得たようですね(清水の次郎長も幼い頃から知らず知らずに親しんでいる地元のヒーローです)。詳しくは、こちらのサイトに書かれています⇒http://www.asahi-net.or.jp/~kw2y-uesg/jiin/tesyuuji/tesyuuji.htm

「山岡鉄舟」そのものについてはこちら⇒http://www.asahi-net.or.jp/~kw2y-uesg/jiin/tesyuuji/yamaoka/yamaoka.htm

西郷隆盛と山岡鉄舟が会談を行ったのは、現在の静岡県静岡市伝馬町の松崎方。

JR静岡駅と駿府公園の間に位置しています。静鉄の静岡駅の近くです。http://map.mapple.net/_mdspot_sc40000_sidG02201122101.htm(地図)

http://www.satv.co.jp/program/tobikiri/tokaido/episode6.htm(記事:静岡朝日テレビHP「とびっきり!しずおか 遠之助珍道中」第24回のところ)

この場所って、小学校の時に、静岡に遊びに行く時に通っていた場所ですし、静岡に帰省する時にも通っている場所です。

不思議すぎるランデブーです。西郷さんもあの静岡から見える美しい富士山の姿を見ていていたんですね。日本一の富士を見ながら日本の将来を夢見たことでしょう。

そういえば、『篤姫』でも、篤姫が江戸に向かう途中で駿河を通過した折、籠から降りて富士山に向かって「薩摩よりまかりこしました篤姫でございます」というシーンがありました。篤姫も西郷隆盛も、薩摩では桜島を拝み、駿河・江戸では富士山を拝み、江戸末期の激動の日本にあって、その行く末に思いを馳せたことでしょう。

キッカケは薩摩(鹿児島)? Part III

本ページは姉妹ブログ「アジア! 華流! 台流! C-POP!」からの引用です(http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/part_iii_d141.html)。

目黒不動尊。

本日(日付が変わってしまったので昨日になりますが)の『篤姫』の本編終了後に紹介されていた「目黒不動尊」。なんと、西郷隆盛ゆかりの地だったそうで!島津斉彬が長期で病床に伏してしまった折、西郷隆盛が斉彬の回復の祈願をした場所として紹介されていました。

目黒不動尊は、弊社アジア・リパブリック・エンターテインメント社から自転車で15分ぐらいのところにあります。桜で有名な目黒の「かむろ坂」を通ってちょっとのところです。1度だけ訪れたことがあります。テレビに映っていたあの「独鈷の滝」で西郷さんはご祈願されたのかな?なんて思いを馳せてしまいました。またまた何とも不思議なランデブーです。

キッカケは薩摩(鹿児島)? Part II

本ページは姉妹ブログ「アジア! 華流! 台流! C-POP!」からの引用です(http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/part_ii_83b1.html)。

本日の『篤姫』も見応えがありました。”芝”の薩摩藩邸の島津斉彬の元で徳川家への興しいれの準備をしている篤姫が、”高輪”の薩摩藩鄭の島津斉興(斉彬の父上)のところに挨拶に赴くというクダリです。西郷隆盛が護衛としてお供しました。

またまた、自分と西郷隆盛との時空を超えたランデブーの話になりますが、この”芝”の薩摩藩邸は、今の港区三田の戸板女子短大、セレスティンホテル、NEC本社ビルのあたりにあったそうです。即ちこれ、母校の慶應義塾大学 三田校舎のご近所です。

ネットで検索してみたところ、373南日本新聞news.com(ミナミニュース.コムhttp://373news.com/_bunka/jikokushi/52.php)というサイトに「江戸の薩摩藩邸」(歴史作家 桐野作人 著)を見つけました。

薩摩藩の屋敷は江戸に6~7箇所あったようですが、下記にミナミニュース.コムの記事から抜粋します。屋敷があったそれぞれの場所に自分は縁があります。

 (1)桜田屋敷(旧上屋敷)
 千代田区内幸(うちさいわい)町1丁目、2702坪⇒日比谷公園近くのNTT日比谷ビルのあたりです。即ちこれ、前職のワーナー・オフィスのすぐ近くです。

 (2)芝本邸(上屋敷)
 港区芝3丁目、2万1785坪⇒戸板女子短大、セレスティン・ホテル、NEC本社ビルのあたり。即ちこれ、母校の慶應義塾大学 三田校舎のご近所です。セレスティン・ホテル(http://www.celestinehotel.com/jp/access/index.html)には泊まったこともあります。穴場的ないいホテルです。

 (3)高輪(たかなわ)屋敷(中屋敷)
 港区高輪3丁目、1万4605坪⇒JR品川駅前、ホテル・パシフィック・メリディアン東京のある場所。即ちこれ、以前住んでいた高輪のマンションから自転車で10分ぐらいのところです。ホテル・パシフィック・メリディアン東京は、海外から帰国する時に成田から乗るリムジン・バスで自分が下車する場所です。バスを下車した時に「あー、(日本に)帰って来たな」と安堵感につつまれるのは、ここが縁(ゆかり)の地だからなのかも、ナンテ?!

 (4)田町屋敷(町屋敷)
 港区芝5丁目、6561坪⇒JR田町駅西口付近、第1田町ビルのところです。江戸無血開城を決めた有名な西郷隆盛と勝海舟の会談が行われた場所です。即ちこれ、母校の慶應義塾大学三田校舎に通っていた時の通学経路です。

 (5)白金屋敷(抱[かかえ]屋敷)
 港区白金台1丁目、7937坪⇒八芳園、明治学院大学のあたりです。即ちこれ、以前住んでいた白金のマンションから自転車で10分ぐらいのところです。八芳園は、my favorite placeです。日本庭園が美しく、2FのThrush Cafe(http://www.happo-en.com/restaurant/thrushcafe/index.html)から見える景色は絶景です。両親を連れて行ってあげたこともあります。

 (6)渋谷屋敷(下屋敷)
 渋谷区東4丁目、1万8000余坪⇒国学院大学のあたりです。篤姫はこの屋敷から江戸城に興し入れをしたようですね。残念ながらこの土地とはあまりご縁がないです。バスで近くを通ったぐらいです。ただ、もし篤姫の江戸城興し入れの行列が六本木通りをと通って行ったとすれば、そこは何度も通っています。

その他として、島津公爵邸もご紹介しておきますと、これは現在の清泉女子大本館(東京都品川区東五反田三丁目)ですhttp://www.age.jp/~docile/kyu_shimazuyei.htm。清泉は、いとこが中学・高校時代に通っていた学校です。

なんだか不思議な接点です。

キッカケは薩摩(鹿児島)?

本ページは姉妹ブログ「アジア! 華流! 台流! C-POP!」からの引用です(http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_d206.html)。

NHKで始まった大河ドラマ『篤姫』。

幕末に薩摩(鹿児島)で生まれ育った今泉島津家のお姫様「篤姫」が、後に江戸にわたって徳川将軍家(第13代)に嫁ぎ。。。というストーリーライン。第1話のエンディングでは「この姫が日本の将来を救うことになろうとは誰も。。。」という物語の展開を”予告”していました。

実は、第1回目の本放送の時には、最初は流し見で、ところどころ観ている程度だったのですが、ドラマの途中から、自分の”DNA”が騒ぎ出し、どっぷりハマってしまい、後半戦は真剣に鑑賞していました。残念ながら前半部分は観逃してしまっていた場面も多かったので、再放送でもう一度”しっかりと”鑑賞しました。

やっぱり素晴らしい出来でした。
大河ドラマに真剣になるなんて実に久しぶりです。

舞台は薩摩(鹿児島)。
実は、父の出身が鹿児島なんです。小さいころから島津家の名前はよく聞いていましたし、子供の時に何回か鹿児島に行ったことがあり、鶴丸城、城山公園、吉野公園、磯庭園、桜島、指宿、開聞岳、鹿児島市内の路面電車や山形屋デパートなどなど、幼少の頃のことなのに、意外とクリアに覚えています。
それで、DNAが騒いだんでしょうね~。

でも、それだけではありません!ドラマの端々に出てくるキーワードにビンビン来ました。琉球との密荷、清国との密荷、薩摩が外国との接点、フランス船、寺子屋での孔子の教え、西郷隆盛。。。

日本が鎖国政策を取っていたこの時代、中央の江戸から遥か南西に位置する薩摩はその物理的な距離ゆえ、幕府の目も細かい部分まで届かないところもあったようで、中国や琉球を含む東アジア圏の1中継ポイントとして諸外国と接して世界の最先端の物品や情報に接する機会も多かったんでしょうね。だからこそ、後の西郷隆盛のような人物を生むことになったのでしょう。実は、私の名前には西郷さんの下の名前の漢字一字が使われています。父方の思いなのでしょう。

数年前、前職の時の社員旅行で「屋久島」に行きましたが、その時の中継ポイントが鹿児島でした。羽田から鹿児島まで飛行機で、その後、鹿児島市内の船乗り場から「屋久島」行きのホバークラフトに乗り込みました。結構揺れました!徹夜明けにそのまま社員旅行に行ったので頭がクラクラしたのを覚えています。

「屋久島」では自分のルーツを発見?!
自分の名字(父方の性)って割りと日本では少ないんですけど、ナント、「屋久島」にはその名の土地・住所があったんです!
どうやら自分のDNAは南西方面から来たんでしょうか?ひょっとして、それで台湾に惹かれるでしょうか?(笑)でも、意外と真剣だったりします。初めて台湾に行った時、やはりDNAが騒ぎました。きっとそうに違いない、ナンテ(笑)

『篤姫』の本編終了後の鹿児島観光案内で、喜入肝付家ゆかりの地として「喜入小学校」が紹介されていました。

この小学校は、私の父親の出身校でして、小さい頃に鹿児島旅行に行った際に連れて来られた場所でもあります。

私の父は昭和9年生まれで今年で74歳になるのですが、健康でピンピンしていおり、パソコン・デジカメ・インターネットなんかを平気でこなします。驚きです。元々、造船関係の技術者だったのでメカに強く、パソコンも私よりも先に購入して使っていました。相当前の話ですが、私がパソコン初心者だったころ、自分は父に教えてもらっちゃったりしてました(恥!)。

そんな父から、先週、『篤姫』で喜入小学校が紹介されていたよ!と言って、写真付きのメールが届きました。74歳にしてパソコンを駆使してスゴイなと思います(汗)。

そんな感じで、最近、自分的には、『篤姫』がキッカケで「幕末~明治時代」がマイ・ブームになっていて、関連書籍や幕末~明治の歴史本を読み漁ったりしています。

そんな中、自分の下の名前の漢字1字の由来となっている「西郷さん」こと「西郷隆盛」との意外なランデブーについて発見しました。

倒幕のために江戸に向かった西郷隆盛は、「駿河」の地で幕府側の使者、山岡鉄太郎(鉄舟)と会談。これは、後の勝海舟との江戸城引渡しの下準備会談と位置づけられているそうですが、「駿河」は今の静岡、即ち、自分の生まれ故郷です。

西郷隆盛は、その後、さらに東に歩を進め、江戸高輪の薩摩藩邸で勝海舟と会談。討幕軍による総攻撃の中止、江戸城の無血開城が話し合われます。この話し合いがされた薩摩藩邸は、品川駅前のホテル・パシフィック・メリディアンにあったそうですが、これは以前自分が住んでいたマンションから自転車で10分ぐらいのところです。

明治維新政府が成立し、薩長出身の人間が明治政府の中心に(藩閥政治)。西郷隆盛も勿論そのなかの一人でした。

横浜が海外への窓口として急激に発展して行きます。

明治4年に岩倉具視一行が欧米視察のために横浜を出発しますが、西郷隆盛は留守番組として、横浜の地で一行を見送ったそうです。

また、日本初の鉄道が新橋~横浜に敷かれますが、そのお披露目式典で、西郷隆盛は新橋から横浜行きの列車に乗車。横浜は私が中学校~社会人1年目を過ごした土地。新橋は職場です。

西郷隆盛は、その後の西南戦争で薩摩の地にて亡くなりますが、弟の従道は明治政府の要人として残ります(第一次伊藤博文内閣では海軍大臣)。従道の邸宅は、目黒区青葉台の西郷山公園にあったそうです。代官山駅から歩いて15分の旧山手通り沿いです。ここは大学時代~バブルのころ、典型的デート・コースの一部。ははは。。。

日本史の勉強は中学の時は大好きだったんですが、高校になると専ら世界史の方に目が向いてしまっていて、日本の幕末・近代史って割と弱かったんですね~。で、こうやって、大河ドラマをキッカケにいろいろと調べてみると、父の出身地=鹿児島(薩摩)と赤い糸的なつながりをしていたんだなぁ~と感心しちゃっています。「隆」の字を頂いたが故の因縁でしょうかね?益々興味が沸いて来ました。

上野公園の「西郷隆盛」像は、犬で有名ですが、自分も犬が好きです。静岡にいるころには柴犬を飼っていました。鹿児島から静岡の地に着いた西郷さんは、富士山と三保海岸の風景をどう感じただろうか?なんて思いを馳せています。

キッカケは、KARAOKE in 広州? グレムリンが結ぶ縁。

本ページは姉妹ブログ「アジア! 華流! 台流! C-POP!」からの引用です(http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/karaoke_in_00fe.html)。

今日は、自分がC-POP(1990年代の香港C-POPの方ではなく、2000年代の台湾C-POP)に興味を持つようになったキッカケを少々。

あれは、2002年の夏頃だったと思います。。。

2002年12月20日にワーナーから発売した「グレムリン DVD Limited BOX ― モホーク フィギュア付き ブリスターパック」という商品、ご存知の方いらっしゃるでしょうか?(おそらく、今の華流ファンの中にはいらっしゃらないと思いますが!笑)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%83%B3-Limited-%E3%83%A2%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2%E4%BB%98%E3%81%8D-%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%AF/dp/B00006LY1Y

実は私、この商品の開発・マーケティングを担当しておりました。
グレムリンに登場する「モホーク」というキャラクターの5cmぐらいのフィギュアをグレムリン1と2のDVDに付けてブリスター・パックにして限定で販売するという企画でした。

で、このフィギュアの製造は、日本のメーカーへの発注でしたが、このメーカーは中国の広州にある工場を使っていました。

原型の作成から、着色サンプルまではすべて日本でやりましたが、いざ大量生産(と言っても限定生産○千個ですけどね)に入るゾ!という段階で、工場視察の出張に行くことになりました。

それまで、中国といえば、個人旅行で香港に行ったことはありましたが、その先の広州には足を踏み入れたことがなく、また、ドロボー等の物騒な話もいろいろ聞いていたので少々ビビリながらの出張でした。ま、でも、香港までは一人旅でしたが、香港からは日本のメーカー担当の方が空港に迎えに来てくれてフル・アテンドしてくれたので安全な旅でしたけれどもね。

香港から広州の国境までは大型バスで1時間弱、そして中国への入国手続き(ナント40分近くかかりましたよ!当時、香港返還後すでに5年近くも経っていたのに、香港-広州間の入出国手続きはスムーズに行っていなかったんです!!!2006年に広州に行った時には解消されていましたが。。。)、その後ミニバンで主要幹線の中継地点まで1時間ぐらい、そこから更に迎いの乗用車でホテルまで30分ほど。ホテルに着いた時には夜。外は真っ暗になっていました。大変な奥地に連れて行かれたもんでした。。。しかも一泊二日の強行軍だし。。。それもこれも大事な商品のため、自分の大事な企画のため、というのがあったので意外と平気でしたけどね。

で、この道中で関心したのが、フィギュア・メーカーの担当者。大型バスやミニバンの中やホテルで、中国人の女性スタッフとカタコトの中国語で会話を楽しんでいるではありませんか!日本オフィスで出入りしているその担当者が中国語をしゃべるなんて予期していなかったので、ちょっとビックリしました。単なるフィギュア・オタクとしか思っていなかったので。。。聞いてみたら、独学でちょっと勉強したそうでして。今思い起こしてみると、発音は怪しかったようでしたが、そのチャレンジ精神は、後々自分の励みにもなりました。

さて、導入部分が長くなりましたが、その夜に連れて行ってもらった大型KARAOKE店。そこが、台湾C-POPとの出会いの場所です!

とあるテクノ系ダンス・ミュージック(中国語)がかかると、そこにいたスタッフが全員立ち上がって踊りながら歌い始めたのです。非常にノリの良い楽曲でした。その当時はC-POPにはさほど興味もなく、中国にもこんなテクノ系ダンス・ミュージックがあるんだなぁ~、と思ったに過ぎませんでしたが、メロディが特徴的だったので、なんとなく頭に残りました。気になった曲でしたが、歌手の名前も楽曲の名前も聞いてもわかりませんでしたが。。。

その後、その年の秋に例の初・台湾旅行に行ったわけですが、その時にこの謎が解けたのでした!

その台湾旅行に行った時、現地で知り合った台湾の友達数人に連れられて台湾のKTV(カラオケ店)に行ったんですね。そこで偶然にも!広州のKARAOKE店で聴いて気になっていた楽曲を台湾の友達が歌ったんです!

その時に名前を教えてもらいました・・・鄭秀文sammiの『眉飛色舞』

東京に帰ってからいろいろと調べてみました。元は韓国の楽曲だったのを中国語にして歌っていたんですね。しかも彼女は元々香港出身の人。

で、その後再び台湾に行った時に彼女のVCDを買いました。『眉飛色舞』を含む10曲を収録した『sammi鄭秀文,冠軍卡拉OK VCD』。彼女の最新ヒット曲満載のベスト版的なカラオケVCDでした。「カラオケVCD」と言っても、ちゃんと彼女の音声付き。中国語歌詞がカラオケのように表示されるんです。なので、中国語の勉強には打ってつけ、という感じでした。しかも、MV(ミュージック・ビデオ)のクォリティが非常に良い!1本の映画のような感じなんですね。そこで発見しました、台湾C-POPのレベルの高さを。で、中国語の楽習には持って来いの教材ではないか?と。自分が「ビートルズ」で英語を勉強した時のように。。。

というのがキッカケです。
いつものように長い長~いキッカケ話でした。(汗)あせあせ

それにしても、こうやってこのシリーズを書き続けてみると、自分でも発見です、意図する・しないに関わらず、自分は徐々に徐々に華流の世界に引き込まれて行っていたんだなぁ~、と。これが自分の運命、天命、「役割」?(『篤姫』ふうに。笑)

キッカケはコンプレックス?

本ページは姉妹ブログ「アジア! 華流! 台流! C-POP!」からの引用です(http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_9733.html)。

さて、本日は、中国語を勉強するようになったキッカケについて少々。
お話をする前に、ちょっと道がそれますが、自分って”勉強”するってコトバの響きは好きではないんですね。字面が”強いて勉める”ですから。イヤイヤやるって感じ・漢字ですよね。母校の慶応義塾大学で元NHKニュース・キャスターの宮崎緑さんが三田祭で講演をされた時にも、そんなことをおっしゃっていました。もう20年前ぐらいのことですが。

こと、外国語学習については、”楽しく学ぶ”楽習でないと、長続きしないと思っています。これ自論です。語学は毎日続けることが大事ですからね、長く付き合うようにしないと。嫌いな相手、楽しくもない恋人とは、長続きしないでしょ?

さて、中国語に関してですが、実は2003年になるまでは、自分とはまったく縁のない言語でした。

高校の時には、確かに「漢文」の授業は好きでした。あのレ点を追って読む日本語の響きは好きでした。そもそもレ点を追って読むという行為が、暗号を読み解くような感じで面白かったですしね。漢詩も好きでしたけど、歴史物語の漢文を読むのはもっと好きでした。壮大な中国!自分は世界史も好きで得意でした。

それから、浪人の時には代々木ゼミナールに通っていたんですけど、そこには漢文の名物講師で多久先生という方がいらっしゃいまして、非常に感銘を受けました。当時でもかなり高齢だったと思うのですが、ボディ・ランゲージを多用したパワフルな授業で、非常に情熱がありました。今でも当時の教科書を持っています。自分の受験校では、試験問題に漢文が出題されるわけではなかったのですが、教養として役に立ちました。

ただ、高校の授業にしろ、代ゼミの授業にしろ、所詮、日本語読みだったわけでして、中国語の原音で接していたわけではありません。受験が終わるとともに、漢文とも縁が切れてしまいました。大学での第2外国語はスペイン語でしたし。

実は、第2外国語の選択は、中国語とスペイン語の2大言語で迷っていたんですけれど、当時は数年後に「バルセロナ・オリンピック」が控えていたのと、小学校5年生の時にNHK教育でたまたま見た「ガウディ建築」に影響されて、という理由でしたかね、表向きの理由としては。でも、本当は、スペイン語は、発音が簡単だから。日本語の「あ・い・う・え・お」と基本的に同じなんです。一方、漢字だらけの中国語は抵抗感があったんですね、教科書をちょっと見した瞬間。そんな動機でした。結局、大学時代は、必修でもないのに、4年間もスペイン語と接していました。

社会人になってからは、もっぱら英語です。
独立系映画会社のGAGAに5年間勤めていましたが(『恋のゆくえ』とか『マスク』とか『セブン』とかの時代ですからかなり前のお話です)、海外とのやり取りはすべて英語。カンヌなどの海外の映画祭でももちろん英語でのコミュニケーション。スペイン語も中国語もまったく関係のない世界でした。

ただ、この時代はレンタル・ビデオ最盛期で、GAGAでは『男たちの挽歌』シリーズを始めとする香港映画を多数手掛けていましたし、「東京ファンタスティック映画祭」でも香港映画がとっても元気な時代でしたので、そういった作品には接していました。でも、香港とのビジネスは英語だったわけです。また、香港の場合、当時は100%広東語だったので、まったく未知の世界でありまして。

当時、中華圏映画と言えば香港映画でしたが、台湾や大陸からも作家主義の佳作が出ていました。ホウ・シャオシェンやチェン・カイコーなどなど。

自分がカンヌに参加した年に、チェン・カイコー監督の『さらば、わが愛 覇王別姫』が、『ピアノ・レッスン』とともにパルムドールを受賞、時代の変化を感じました(1990年代は、ウォン・カーワイ監督の香港ヌーヴェルバーグが日本でも大ブレイクしましたしね)。『さらば。。。』は、個人的にも大好きな作品です。友人達に推薦しまくったのを覚えています。

でも、中国語を学習しよう!というところまでは行かなかったですね。転機が訪ずれたのは2002年秋。初の台湾旅行と上海人の友達との出会いです。

キッカケは2002年の秋の台湾旅行、そして上海人の友達との出会い。。。だったのですが、実はその時点で自分は既に30代後半に突入していました。37か38歳。なので、新たに外国語にチャレンジするには遅すぎるのでは?!ましてや中国語だし!と、かなり躊躇はしました。

西暦が2000年になり、世紀も21世紀になり、あれだけ心配していた「ノストラダムスの予言」はいずこに?という感じだったのですが、メディアはこぞって、「21世紀はアジアの時代、中国の時代」なんて書き立てていました。漢文や世界史で勉強していたあの大中国が100年の永い眠りから目覚める!ワクワクしました。世界史の中でも中国史は大好きでしたので。中国って19世紀後半までは世界の最先端だったのに、清朝の後半からボロボロになっちゃって、20世紀になると政治的にも経済的にも没落しちゃってたわけなんですけど、21世紀になると急激に復活を遂げて、100年前の栄華を取り戻すのではないかと思う勢いです。

で、日本も、中国が清朝後期に崩れるまでは、ずっと中国のことを尊敬して来ていろいろなことを学んで来ていたわけでして(遣隋使・遣唐使のころから最先端の知識や物産は中国から)、実際、政府の高官や知識人なんかは漢文が読めたりしてたわけですね。堺や長崎の出島の商人なんかもきっと中国語が出来たんじゃないでしょうか。20世紀の日本は漢文・中国語よりも欧米語偏重だったわけですが、100年の時を経て中国が目覚めるとともに、日本でも中国語学習が盛んになって来て、今や、英語に次いで、2番目に学習者が多い言語に。自分が大学の時代は、フラ語やドイツ語が2番手・3番手で、中国語は4番手ぐらいでしたが、時代は大きく様変わりしました。

。。。何だか歴史の講義みたいになっちゃいました。

ま、こんな時代の流れの中で、自分も中国語をやっておいた方がいいんではないか?と考えていたことは考えていました。。。米国ハリウッドの映画会社で働いていたわけですが。

そんなふうに考えていた時の台湾旅行であり、上海人の友達との出会いだったんです。

2000年になってアジアの時代・中国の時代と騒がれるようになって、中国語の必要性を意識するようになるも、2003年3月になるまでは中国語学習を始めることがなかった私。年齢が37・38にもなると新しい言語を習得するのは無理!と勝手に自分を納得させようとしちゃっていたんでしょうね。それから、漢字ばっかりで難しそう!というアレルギーもありましたし。だって、それまでずっと英語・アルファベットの世界で仕事をしていたわけですから、漢字だらけの中国語って抵抗感があったんですね。

その転機になったのが、友人が誘ってくれた台湾旅行とそのツアーで出遭った上海人の友達(後に半年ほどですが、中国語の発音と聴き取りの指導をしてもらうことに!)です。

そもそも、21世紀になって「中国大陸」のことが騒がれたものの、「台湾」って盲点だったんです。正直あんまり意識していなかったし、イメージがわかなかったですね。ホウ・シャオシェン監督の『非情城市』は好きでしたけど。でも、それってかなり古いし。それから、遅れているのでは?という偏見もありました。

そんな感じだったんですけど、ロクに夏休みも取れなかったその年、秋ぐちになって友達が「今、台湾が面白いんだってよ!世界一のタワーが建設中で。。。意外と進んでいるみたいよ」などと誘ってくれて。しかも、ツアーの値段がとても安かったので参加することにしたんです。で、そのツアーには、(後に中国語の基礎を指導してもらうことになる)上海出身の中国人が参加していました。その人は、お父さんが中国人でお母さんが日本人の中・日のハーフ(なんだか金城武さんみたい?)で、生まれてから大学卒業まで上海で過ごし、その後日本の大学に留学、日本には既に10年ぐらいで、日本語はペラペラ。でも、日本に来た当時はカタコトしかしゃべれなかったそうです。上海では地元テレビ局のアナウンサー試験も受けたことがあるらしく、普通話の発音はプロ級。で、ツアー中にそのような話をいろいろとお聞きしているだけでも感銘を受けたのですが、その方が台湾現地で中国語で現地の台湾人とナチュラルにコミュニケーションされているのを観て、単純にカッコイイな、と思いました。ちょうど、「ベストヒットUSA」の小林克也さんの英語に憧れたように。しかも、この上海人の人、英語もしゃべれてトライリンガルだったので、またまた奮起させられちゃいました。実は中華圏って、英語もペラペラのトライリンガルがウジャウジャいるんですよね。普通話・地元語(広東語、上海語、福建語、台湾語などなど)・英語+α(日本語など)。シンガポールと香港はその最たるもの。台湾も英語がしゃべれる若者が多くなって来ました。今や、バイリンガルの時代ではなく、トライリンガルの時代だぁ!と刺激を受けました。

前にも書きましたが、英語圏で生まれ育った帰国子女に対するコンプレックスって大学卒業後も強く残っていたのですが、そんなバイリン達って、漢字書けないし、東洋や日本の歴史も知らないし、そんな彼女・彼らに差を付けるには中国語かな?ってニワカに思ったりしました。だって、彼らは逆立ちしたってこれから漢字やことわざを覚えて中文を読んだりとか、中国語を話したりというのはムリだと思うし、などと想像し、「よし!トライリンガルを目指そう!」と思いました。

でも、結局、旅行から戻り、職場に戻ると、いつものように忙しい毎日で、中国語の勉強どころではなくなっていました。

そんなこんなで台湾旅行から3ヶ月も経ってしまっていた2003年初旬、会社からアジア・パシフィック部門への異動の話をいただきました。ナントいう運命!アジア・中華圏に強く惹かれ始めていた矢先にです。即答でYES!でした。そして、正式異動日の3月1日から中国語の学習を開始しました。これは自分のその後の人生を左右することになった記念の日です。なので、今でも日付けを覚えています。これからは趣味ではなく、仕事で中国語!東アジアのスタッフとうまくコミュニケーションをして行くには、ハリウッドの会社だからといっても、英語だけでなく中国語でやった方が受け入れてもらえるのではないだろうか?そんな思いもありました。

3月1日から正式に中国語を学習し始めようと決めて、2月に大型書店で中国語学習参考書を漁りに漁りました。

購入したのは、NHKラジオ「中国語」講座のテキスト半年分まとめて(CD教材もまとめて半年分)、それから、中国語発音基礎の参考書を1冊(もちろんCD付き)、中国語単語集を1冊(イラスト付き&CD付き)、そして、中国語文法の参考書を2冊(1冊はマンガ・イラスト付きでとっつきやすくCD付きのもの、もう1冊は文法一覧形式で非常に整理されてて見やすいもの。でも残念ながらCDが付いていませんでした。なので後に、上海人の友達に中国語吹き替えをお願いしました!謝謝老師!)。

選ぶ時の基準は、「見やすく」「わかりやすい」こと!文字数が多くて見にくい参考書も多かったですが、こんな参考書じゃ「楽学」はムリ!続かないと思いました。これらすべては英語学習の時の反省に基づいています。

最初は全部独学でした。

CD教材はすべてMDにコピーして通勤中にも聴けるようにしました。通勤時にMDで中国語の教材を聴くのを毎日の日課にしました。それから、通勤でなくても外出する時には必ず、理解できてもできなくても音楽シャワーの聴き続ける!そう決心しました。

最近新聞広告などで、「毎日聞いているだけで英語がしゃべれるようになった!」というのを見かけますが、それを中国語で実践してみよう~と思ったのでした。

その年のNHKラジオ講座の内容は非常に良かったですね。テキストが見やすく・わかりやすく、それでいてポイントが押さえられていて、スッと頭に入る。初級学習者、特に独学者には理想的な教材でした。

文法の参考書は、イラスト付きのものは本当に導入部だけだったのですが、中国語文法全体を一度に俯瞰するには良い参考書でした。文法の細部・詳細については、リスト式・一覧式の方で多くの例文に触れて行きました。

問題は、発音でした。音関連です。

イラストに描かれているように口や舌の形を作っても、CDに収録されている先生の中国語の音が出ないのです。これは独学では出来ない部分だな、と思いました。

実は、中国語学習の初期の段階で掴んだ「中国語」学習のツボがあります。それは、中国語の学習にあたっては、「目に頼りすぎてはいけない!」ということです。日本人は漢字が読めるので、「目」で読んでわかったつもりになっても、毎日の通勤時にテキストを「耳」で聴いてみると、まったく頭がついて行けていないということを発見しました。例文で使われている単語・漢字は非常に簡単なものです。ですから、「目」で追うと簡単に理解できてしまうのです。でも、それでは意味がないんです、コミュニケーション・ツールとしての「中国語」を目指す自分にとっては。

で、独学で数ヶ月ほどやってみた後、台湾旅行で友達になった上海人に中国語の家庭教師をお願いすることにしました。その人は、他にも数人に中国語を教えているとのことで快諾してくれました。

まずは、発音の基礎を徹底的にやってもらいました。
中国語には、無気音・有気音、四声などなど、日本語にはない発音がいっぱいありますので、変なクセを付ける前に、ネイティブの先生に習った方がいいです。
文法やボキャブラリー・ビルディングや読解なんていうのは自分一人で出来ますが、発音は別です。初期の段階で発音の矯正をした方が良いです。

発音基礎の次にはリスニング&コンプリヘンジョンをお願いしました。
でも、先生が選んでくれた参考書が中級者用のものだったんです。
ちっとも聴き取れずに凹みました。そこで、先生に提案し、自分でリスニングの教材をいくつかこなしてから再度先生に家庭教師をお願いしたいと。

で、最後のお願いとして、例のCD教材が付いていなかった文法の参考書を、先生の吹替えで、中国語と日本語で吹き込んで欲しいとお願いしました。これが非常に良かったんです!このお陰で中国語検定対策の文法基礎は楽々と身に付けることが出来ました。

家庭教師をいったん終了した後、その年、2003年秋だったと思いますが、初めて中国語検定に挑戦してみました。やはり独学ですと、自分のレベルがどのくらいなのか?自分の勉強方法は間違っていないか?などいろいろと悩みます。で、まずは4級を受けてみることにしました。3月に中国語を始めてから半年ほど学習して来たことを復習するとともに、試験直前の1ヶ月間は過去問を集中的にこなして実戦モードに切り替えました。結果、4級はそれほど難しくはなかったです。一発で合格しました。

2004年の春には3級にチャレンジ。でも、その時は落ちました。「耳」も「目」も引っ掛かりました。筆記の方が悪かったと記憶しています。文法の間違い探し、書き取りが足を引っ張りました(前にも言いましたが、自分は大陸の漢字も台湾の漢字も書けないんです。日本の漢字しか出来ません。自分としては会話を重視しているので、書き取りにはまったく力を入れていなくて、作文問題はほぼあきらめているんです)。長文も読むのが遅かったと思います。聴き取りも短文はまあまあでしたが、長文がダメでした。

反省すべきは反省し、弱い部分を強化して、その年の秋には合格。中国語を始めて2年弱で3級まで行けたから順調かな~なんて楽勝気分でいました。ところが、そこからが大変なんです!中国語っていうのは。「さまよえる中級者」とはよく言ったものです。3級までは中国語の初級ですが、そこから2級(当時は準2級)レベルに行くのが非常に大変なんですね。学習されている方はご存知だと思いますが。3級合格後、3ヶ月ごとに2級(準2級)にチャレンジしましたが、何度も落ちました。2級(準2級)に合格したのは2006年の3月です。中国語の学習を始めてからちょうど3年が経っていました。

では、3級合格後、「さまよえる中級者」としてどうやって学習して行ったか?
~それが「台湾ドラマ・中国語版の韓国ドラマを観まくる」でした。

実は、中国語って、中検4級・3級などの初級レベルの参考書はいっぱいあるんですけど、中級者レベルの教科書って極端に数が少ないんですね。あったとしても内容が極端に上級すぎ!みたいな。だから、中級者は「さまよう」んです。この段階でフツーは中華圏への留学を考える人が多いというのは頷けます。大陸に行けば北京外語学院なんかが出している中級者用の教科書が豊富にありますからね。

でも、自分は留学になんて行っている時間はないし、独学での方法を追求して行きました。一つが、例の上海人の先生が教材として選んでくれた中級者用の参考書、そして、韓国・台湾ドラマVCD/DVDの鑑賞です。

ところで、自分って「韓流ドラマ」は中国語版でしか観たことがないんです。
2003年3月にアジア・パシフィック部門に異動になった数ヶ月後に北京での全体会議がありましたが、その時に王府井の大書店で韓国ドラマ『秋の童話』のVCDを見つけて買いました。韓流ドラマってのが流行り始めているというのは知っていましたが、観たことがなかったので、中国語の勉強のためにもと思って買ったのでした。しかも、全話が入ったボックス・セットなのに非常に値段が安かったので。

『秋の童話』は日本で山口百恵と三浦友和が昭和50年代にやっていた「赤いシリーズ」が詩的に再現されいて、それが日本人の自分には新鮮に見え、しかも主演男優のソン・スンホン&ウォンビンがカッコイイし、主演女優のソン・ヘギョがカワイイとあって、一気に観てしまいました。中国語吹替えと中国語字幕でしたので、当時の中国語能力では歯が立ちませんでしたが、「たぶんこんなことを言っているんだろうな」と多分に内容を想像しながらの鑑賞でした。

その後、台湾に行った折には『冬のソナタ』や『夏の香り』など韓流ドラマの代表作の中国語版を次々と買っては観まくって行きました(『冬のソナタ』は、NHKの地上波でやっていた日本語吹替え版を観たことがありますが、中国語版と声質がまったく違っていて、イメージが崩れてしまいました。笑)

そのうち、台湾ドラマにも手を出して行きました。その第一弾が、「キッカケは『愛情白皮書~あすなろ白書』」でした。その後、『流星花園』、『アウトサイダー』、『カエルになった王子様』と、話題作を次々に観まくりました。

ドラマを観る中で、韓国や台湾の文化を垣間見ることができ、「意外と進んでいるジャン」と思うことがいっぱいありました。今まで欧米のことばかりしか見ていなかった自分が、お隣のアジアの国々に新しい発見をして行ったのです。正に「灯台下暗し」でした。自分が知らないうちに、韓国も台湾もこんなにも豊かに発展していたんだな~、と(高飛車発言でスミマセン。。。)。

そんな感じでドラマ鑑賞の数をこなすうちに、中国語吹替えのスピードと同じ速さで中国語字幕が読めるようになり、ドラマの内容も理解できるようになって行きました。

慣れとは恐ろしいものですネ。「語学は習うより慣れろ」とはよく言ったものです。エンタメ性のあるドラマでナチュラル・スピードで中国語に慣れていく!それがポイントです。日本にいる外国人で日本語が上手な人によく出会いますが、「どこで習ったの?」と聞くと、「日本のドラマで」と答えて来る外国人が結構います。それって本当なんですね。自分も英語学習の時に、中級レベル以降は映画やドラマを教材にして勉強していましたらかね。

このドラマ学習の中で極めつけだったのが、韓流ドラマ『チャングムの誓い』でした。

歴史ものでコトバがお固く、普段使われない宮廷用語が結構出てくるし、人の名前・食材・薬など難しい固有名詞がいっぱい出てくるし、しかも60話近くあるので難易度S!でした。そんじょそこらのラブ・コメとはレベルが段違いでした。1回観ただけでは表面的なストーリーしか追えなかったので、かれこれ5回ぐらい観ています。60話近くをです!それだけ面白いストーリーでしたので。見るたびに発見がありました。「あー、そういうことだったのか」と。

さて、例の上海人の先生ですが、その後、ニュージーランドに英語語学留学に行かれてしまったので、家庭教師再開は見送りになり、結局独学の日々が続くのでありました。。。今日に至る。

。。。。気づいてみれば、もうこんな時間!結構書いてしまいました。。。文字数制限が何度も出ましたし。このあたりで、このシリーズ、終わりにしようと思います。明日から通常営業ですしね。

自分としては、中国語学習は、今後は中検準1級・1級は狙わず、HSKでレベル・チェックを続けていこうと思います。中検は今後は書き取り問題が多くなって来ますが、HSKであれば作文問題は漢字1文字の穴埋めで済みますので(笑)。

自分が書いてみた文章を読み返してみて、大事なことを説明するのを忘れてしまっているのに気がつきました。

「口」即ち、「しゃべる」「話す」力を磨く方法についてです。
実は、ドラマのVCD/DVDを使った楽習方法というのは、「目」と「耳」は鍛えられるのですが、そのまま観てるだけでは、しゃべれるようになるわけではありません。

「シャドーイング」というメソッドを使って「口」を動かす・鍛えるということをしないと、「しゃべれる」というレベルには行きません。

「シャドーイング」は、「耳」リスニングで入ってきた音・単語・文章をそのまま自分の「口」で再生するというメソッドで、「耳」と「口」と「右脳」を鍛えるのに有効です。英語教育の方面では、昔は通訳者養成クラスでしか使われていなかったメソッドで、自分が学生の時には導入されていなかったものですが、今では一般の英語クラスでも使われるようになっています。もし、この方法を知っていたのなら、自分の英語も、もっと早くに開眼していたことであろうに!

「シャドーイング」はCD教材さえあれば一人でもできるお気軽メソッドです。自宅でも通勤途中でも、「耳」から入ってくる情報を、念仏のように唱えるだけです(自分の「口」で再生)。

あとオススメなのは、お気に入りのC-POP音楽のカラオケを中国語で歌うこと!
しかも、大きな声で!口の筋肉を動かす運動になります。
大声を出せばストレス発散にもなりますしね。

でも、独学でできるのはここまでだと思います。

後は、中国語ネイティブの友達を作っていっぱいしゃべることです。
会話は、1対1、1対多のコミュニケーションが基本です。
やはりナマの人間と話すのが一番。
最近ではインターネットのMSNにビデオカメラを付ければ、海の向こうの台湾・中国の友達とも顔を見ながら気軽に話をすることができます。しかも、無料で。

DVDといい、MSNといい、語学学習者にとっては本当に良い時代になりました。
こういった最先端の技術力を使わない手はありません。どんどん積極的に使いましょう。

自分も現代技術と最新の語学学習メソッドのお陰様で非常に効率的に中国語を習得できていると思います。中学で3年、高校で3年、大学で4年も勉強しても話せなかった英語でしたが、中国語の場合はたったの3年で会話ができるようになりました。

やればできる!あきらめないで継続してやることが大切ですね。でも、あくまで「楽しく学ぶ」というスタンスを忘れずに続けたいと思います。

キッカケは横浜?

本ページは姉妹ブログ「アジア! 華流! 台流! C-POP!」からの引用です(http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_e9d3.html)。

明けましておめでとうございますPart IIです。

今自分は、実家の靜岡に来ています。サッカー王国清水です。長谷川健太さんやさくらももこさんと同じく清水の出身です。学年も一緒です。現U-22サッカー日本代表の反町さんは一つ上のご先輩で昔からご近所の星でした。

本日は快晴、雲ひとつなく、そして、富士山がキレイに見えます。

さて、里帰りを機に、自分と中華圏の接点のルーツをちょっと考えてみました。

清水には結局、小学校の6年生までしかいなかったんですけど、小学校5・6年生の時は、『燃えよドラゴン』『ドラゴンへの道』でブルース・リーが流行り始めた頃だったでしょうか。おそらく、これが原点?

中学校からは横浜に転校したんですが、中学~高校の時期は、『死亡遊戯』で再びブルース・リーが、そして、後継として『酔拳』シリーズでジャッキー・チェン、『少林寺』でリー・リンチエ、が流行りました。

でも実は、これらカンフーものは、どちらかと言うと、2つ年下の弟がハマっていて、彼がよく物まねをやっていたのを覚えています。自分はそこまでドハマリではなかったですが、当時は相当流行っていたので、かなり影響は受けています。ワーナー在籍中には、ジャッキー・チェンの『酔拳2』『ファイナル・プロジェクト』『レッド・ブロンクス』『デッドヒート』の日本版DVDのリリースも手掛けたのですが、思い出に浸りながら楽しく仕事をしたのを覚えています。ハリウッドのワーナー本社にかけ合って(もちろん英語でです)、権利クリアランスとマスター出しをやってもらったり、他社から既に発売されていた日本版DVDを特典ディスクとして付けたりと、かなり情熱的にやりましたね~。エンタメ業界って、情熱が大切なんですヨ。

でも、自分に本当の影響を与えたのは、たぶん高校時代ではないかな~と思います。高校は、横浜の山手の丘の上の公立高校でしたが、歩いても行ける距離で「中華街」がありましたし、クラスメートには中華系の生徒もいました。それが、ナマで接した中華でした。映画の中の中華ではなく、本物の生きた中華です。

きっとこれが自分の原体験なのだと思います。それが、何十年後に華流業界に入るなんて!人生は、経験・体験の積み重ね。それらが一つの線となって繋がって来る日が来るものなのですね。面白いものです。

キッカケは『愛情白皮書~あすなろ白書』

本ページは姉妹ブログ「アジア! 華流! 台流! C-POP!」からの引用です(http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_9278.html)。

昨日は、自分が華流業界に入るキッカケとなったエピソードをお話しましたが、本日は、華流ドラマを観ることになったキッカケについて少々お話しようと思います(少々と言いつつも、結局いつものように長くなると思いますが。。。笑)

フツー、皆さん、『流星花園~花より男子』なんですよね?華流ドラマとの出会いというのは。

自分の場合は、『愛情白皮書~あすなろ白書』から入りました。

その経緯をお話しましょう。

ワーナーのアジア・パシフィック部門では、自分は、香港のマーケットも見ておりましが、香港チームは早くから台湾ドラマのマーケット性に目を付けていて、『流星花園』『愛情白皮書』『山田太郎物語』『求婚事務所』などの台湾ドラマ作品の買付けをしてはVOD/DVDの販売をしていました。で、確か、2002年か、2003年だったかと思いますが、その年の売上げのナント25%を『流星花園』が占めちゃったんです。ワーナー内では大変なニュースでした。それで自分も思いました、これからは台湾かなって。

で、香港出張の際に、その台湾ドラマのサンプルVCD『流星花園』と『愛情白皮書』を送ってもらったんですね、勉強のために。

最初に観てみようと思ったのは『愛情白皮書』の方でした。なぜならば、香港オフィスに貼ってあった宣伝用ポスターが、『愛情~』の方が見栄えが良かったので。『流星花園』は、F4の4人が小さく背中を向けて左下に座っていて『流星花園』の文字がデカデカと出ているポスターだったので、イメージがあまりわかなかったんです。一方、『愛情~』の方は、出演者全員の顔がアップになっていたこと、そして当時は知らなかったショーン・ユーがなんとなく光るものがあったからというのと、やはり副題で書かれていた「あすなろ白書」(日本語)は、例のフジテレビ版のドラマを観ていましたし、柴門ふみさんのコミックの方も読んでいたので、親しみがあったからでした。

いや~、出来が良かったので驚きましたよ。映像が詩的で、音楽も良かった。当時は中国語のリスニングは大してできなかったので、中国語字幕を追いつつ映像と音楽を楽しむといった感じだったので、セリフ回しが下手だとかいうのは全く気にしていなかったんですね、自分的には。でも、台湾オフィスのスタッフに聞いてみたら、出演者がほぼ新人でセリフもボソボソ言っていて(特に、ショーン・ユーはこれがデビューで、しかも、元々香港出身なので、国語セリフに慣れていなかったんでしょうね~)、イライラするとか言っていたので、まあナント手厳しいことを言うんでしょうね、と思っていましたが、数年経って観返してみると、確かにボソボソ何言っているの?という感じだし、しかも、主人公の掛居が優柔不断な男でどっちの女性に付くのか余計イライラさせちゃったんでしょうね。日本ではとってもウケたドラマ&コミックだったんですけど、中華圏ではストーリー自体があまり馴染めなかったのかもしれませんね。でも、日本人の自分にとっては、とても良く出来ていると思えたし、その後に日本版DVDも観てみましたが、やはり台湾版の印象の方が良いです。

で、出演人もそれぞれに魅力を感じました。
ショーン・ユーはその後は香港に戻って香港映画にはなくてはならない存在になりましたし、レイニー・ヤンも台湾アイドル・ドラマの常連として成長、『愛情~』の中で英語の発音がネイティブだなと関心していたエディ・ポンも映画にドラマに活躍中だし、それから、『愛情~』で才女を演じ&主題曲も歌っていたファン・ファンはその後CDデビューでブレイクし、今や「模範棒棒堂」のMCを務めるなど大活躍。しかも、彼女はハーバード大出身というから驚きました。台湾は学歴社会なので、タレントであっても高学歴でないと生き残れないみたいですね。。。厳しい!

などと書いていたら、やっぱり長くなっていました(笑)。

最後にちょっとだけ『流星花園』のことについて触れますと、実は、香港チームから送ってもらったVCDサンプルはしばらくの間、放置しちゃっていたんです。何でしょうか、食わず嫌いと言うのでしょうか?自分としては、原作のコミックを読んでいなかったし、VCDのパッケージ・デザインにもそそられることがなかったので、放って置いちゃったんですね。でも、しばらくするうちに(2004年ごろ?)、ブログなどで『流星花園』はスゴイ!とか、華流ムック本がコゾッて『流星花園』特集を組み出したので、「エ、そんなに面白いんだ!?」と奮起して、観始めたんです。そしたら、面白いこと面白いこと。もっと早く観ておけば良かったと後悔しました。まあ、でも、DVDなどのパッケージ・ビジネスはパッケージ・デザインが非常に大事なんですよね。もっとイメージがわくデザインだったらもっと早く観ていたのに、と思いました。

という感じです。その後、『流星花園』も何回か観ていますよ。テレビドラマは中国語学習にとって、とても良い教材ですからね。映画よりもセリフが多いですし、日常的な会話が豊富に収録されていますので。自分が台湾ドラマを観る動機の大部分は中国語の学習と、台湾の若者文化の情報収集に向けられていますが、やはりドラマ自体が面白くないと続かないので、話題性のあるものを選ぶようにしています。中国語を勉強するには台湾ドラマ!そんな鑑賞方法は大いにアリだと思っています。

東アジア統合の時代、中国語はとても大事な言語になって来ます。男性諸君、中国語を学ぶのであれば、台湾ドラマをたくさん観ることですゾ。要は、英語と同じです。

では、今日はここらへんで。

キッカケは『向左走・向右走 ターンレフト・ターンライト』

本ページは姉妹ブログ「アジア! 華流! 台流! C-POP!」からの引用です(http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_fe15.html)。

「ライブ台湾」も無事2周年を迎えることができ、また、年末年始というこの時期に、自分が何故この華流業界に入ることになったのか?そのキッカケをば少々お話しようかと思います。

現在、華流・中華エンタメ業界で働いていらっしゃる方それぞれがそれぞれのキッカケを持っていらっしゃると思いますが、自分の場合もユニークです。今のところ、自分と同じ入り方をされている方を同業界でお見かけしたことはありません。

タイトルに、「キッカケは『向左走・向右走 ターンレフト・ターンライト』」と書きましたが、この映画は金城武さんとジジ・リョンさん主演の映画です。2003年の作品。Warner Bros、Rain Tree(シンガポール)、Milkyway(香港)の共同制作です。

でも、この映画を観て好きになったから、というのがキッカケではなく、自分がこの映画の作り手側にいたから、というのがキッカケです。

実は自分は当時、ワーナーのアジア・パシフィック部門に在籍しており、リージョン3版のDVDの制作にかかわっていました。

その時の経験がキッカケになって、台湾発の華流ドラマというものを知るようになり、また、台湾発のC-POP音楽というものを知るようになりました。

自分は、かれこれワーナーには9年ほどいましたが、最後の3年はアジア・パシフィック部門で東アジアの10カ国のマーケットを見ていまして、いろいろ出張にも行きましたが、台湾・香港は思い入れが強かった場所です。

当時ワーナーの映画部門では、ハリウッド映画の配給だけではなく、ローカル・マーケットに合ったローカルの映画を制作して配給して行こうという機運が出て来ていました(現在、日本のワーナーも『硫黄島』とか『Death Note』など、ローカル・プロダクションに力を入れていますね。)。その初期のプロジェクトの一つがアジア・パシフィック地域における『向左走・向右走』でした。

監督に香港のジョニー・トー&ワイ・カーファイ、主演は台湾の金城武と香港のジジ・リョン、助演には本作品で第40回金馬奨助演女優賞を獲得したテリー・クアン(お弁当デリバリーの役)、それから、シンガポールの人気俳優エドマンド・チェン(医者役)が出演、原作は台湾の絵本作家Jimmy Liao(ジミー・リャオ。でも、業界のライターさんから台湾では”ジミー”とのみ表記するのだと指摘されました。確かにDVDの表紙には「幾米絵本改編」と表記されています。当時の作品資料~香港で書かれた英語版資料~ではJimmy Liaoと書かれてたので、自分はずっとジミー・リャオと読んでました~)、というように、香港・台湾・シンガポール連合で創られた汎・東アジア映画でした。

そして、主題曲は広東語版が香港のジジ・リョン、北京語版はシンガポール出身のステファニー・スン(孫燕姿)。

そうなんです、現在のC-POP界の歌姫、あのステファニー・スン(孫燕姿)です。実は、この作品がキッカケで自分は孫燕姿というアーチストの存在を知り、その歌声に魅了され、台湾C-POPに興味を持つようになりました(90年代の香港映画ブームの時に、香港C-POPを少しかじりましたが、それほどお金を注ぎ込むようなことにはなりませんでしたが、孫燕姿との出会い以後、台湾C-POPにはかなりお金を注ぎ込んでいます。出張に行く度に大量にCDやVCD・DVDを買い込む習性が着いてしまいました)。香港の映画担当者から送られて来たステファニーのアルバムには、日本の倉木麻衣さんの楽曲の北京語版も収録されていて、意外感もありましたが、やはり何と言ってもステファニーの天使の歌声に感銘を受けました。

ステファニーが歌う北京語版主題曲は、映画本体では使われておらず、宣伝・広告用に使われていただけだったので、ぜひR3版DVDの「特別映像」に収録したいと思って、権利元のワーナー・ミュージックと交渉をしたのですが、残念ながら、DVD制作までに権利をクリアにすることが出来ず、残念なことをしました。

実は、DVD制作にあたっては調整ごとが多くて、上記の特別映像の収録以外にも、いろいろと大変でした。というのも、普通は、ハリウッド本社で作られたハリウッド映画をアジアで流通させるだけなのでジョブ・フロ-は整備されているのですが、ローカル制作の映画の場合には、マスターの制作から自分たちローカルで仕切らなければならない、という初のケースだったのです。

なので、R3の中国語字幕はどうする?字幕フォントはどうする?どの字幕言語までカバーする?映像特典は何をいれる?DVDジャケットのデザインはどうする?DVDケースは何色にする?などなど、多くの問題をクリアにして行かなければなりませんでした。台湾・香港チームとのやり取りも膨大で、メールのやり取りだけで200近く行っていました。

でも、それだけ苦労しただけあって、思い入れは大きいですし、愛着があります。

作品自体の評価については、残念ながら、あの最後の「地震オチ」のところはガクっと来ました。せっかくその直前のシーンまでいい感じで来ていて、2人が外国に旅立つために部屋を出る直前に電話を掛けるシーンのところでは、恥ずかしながらホロリと涙するところまで行っていたのですが、地震のところで興ざめしてしましました。

実はこの映画、試写はワーナー香港の映画部の試写室で観せてもらったのですが、その時のフィルムはオリジナル音声に英語字幕と北京語字幕が付いたものでした。当時はまだ中国語の能力は高くはなかったので、英語字幕を追いかけながらの鑑賞でしたが、ゆっくりとした詩的な展開だったので、十分楽しめました。今思うと懐かしいです。

それから、この映画とはもう一つ縁があります。

自分が初めて台湾に行ったのは、2002年の秋。出張ではなく、プライベートでした。そして、まだワーナーのアジア・パシフィック部門に異動する前です。実は、映画『向左走・向右走』は、自分が初めて台湾を訪れた2002年の秋に撮影されていたようでして、映画の最後の方に金城さんとジジ・リョンが徘徊する西門町の巨大広告群は、まさに自分が台北に行っていた時と同じ広告のものでした。旅行写真に写っています。なんだか運命的な何かを感じます。

『向左走・向右走』の映画の始まりは、東区の横断歩道、雨のシーンで始まりますが、傘を持って行き交う人の向こうに見える101タワーはまだ建設中です。それから、ベアトリス・シューさんが出演していたんですね!映画の冒頭部分、金城さんにまとわり付く女の役はベアトリスさんです。今年の春先、彼女の交通事故での死去が大きなニュースとなりました。「ライブ台湾」ニュースで異常なアクセス数を記録しました。

さて、ここまで書いてみてフト気づいていみると、最初は「少々」のつもりだったのに、だいぶ文字数が行ってしまいましたので、華流ドラマとの出会いは明日にでも書き綴りたいと思います。

予告編的に言っておきますと、華流ドラマとの出会いのキッカケは、『流星花園』ではなく、『愛情白皮書~あすなろ白書』でした。それでは、また明日にでも。

日中韓賢人会議

2008年4月28日(月)の日経新聞朝刊と夕刊に、日中韓賢人会議に関する記事が載っていました。

日中韓賢人会議は、日本経済新聞社、中国・新華社、韓国・中央日報社の主宰。日本側団長は中曽根康弘元首相。

3カ国FTAに対して中国外相が意欲的な姿勢を示したというのはいいニュースだと思いました。ただ、今後のアジア経済協力体制については、①ASEAN10+日中韓、②ASEAN10+日中韓+豪州・ニュージーランド・インド、③ASEAN10+日中韓+豪州・ニュージーランド・インド+米国・ロシア、という3のパターンのうち、日本団が推したのは③なのですが、加盟国を一挙にそこまで広げて収拾がつかなくなるのでは?と心配な面もあります。急いては事を仕損じる、急がば回れ、ローマは一日にしてならず、EUも一日にしてならず、でした。コアを固めながら徐々に拡大という道です。一挙に広げると崩壊する可能性も。組織とはそんなものだと思います。

東アジアの航空交通網が変わる!九州の街が動く!

本日は、日経新聞に最近掲載されていた3つの記事をピックアップして、アジアの航空交通網が変わるゾというお話。

① 2008年4月26日(土)朝刊26~27面 「九州経済特集」「アジア客増加続く」

② 2008年4月28日(月)朝刊 MONDAY NIKKEI 「週目点 香港-鹿児島定期便就航(28日) 戦略的な航空行政を」

③ 2008年4月28日(月)夕刊1面TOP 「アジア格安航空 明暗」「日韓へ進出狙う」

①では、東アジアを周るクルーズ船の話が中心でしたが、最後の方で、香港-福岡便、香港-鹿児島便、台湾-宮崎便の運行について書かれていました。アジアからのお客のお陰で九州の経済が活性化して来ているとか。

②では、日本と香港が最近航空自由化協定(首都圏は除かれるらしく)を結んだのを受けて、香港エクスプレス航空が、香港-鹿児島間の定期便を28日から就航すると。既に就航している沖縄便・岡山便、今後就航予定の広島便・名古屋便と一挙に5路線の定期便を設けたそうです。日本が西の方からどんどんアジア圏に取り込まれていくような印象です。

③では、アジア格安航空サービスで有名なシンガポールのタイガー航空、マレーシアのエア・アジアが、来年にも日韓に進出して来ることを取り上げています。

マレーシアのエア・アジアは、『ASEANマーケティング』(フィリップ・コトラー他、http://asia-republic.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/think_globally_.html)で、ASEAN地域の成功企業として紹介されていました。いよいよ日本に来るのですね。

日本でも、全日空が「週末は海外という時代」と銘打って「超エコ割」サービスを開始しています。

来年は、日本人にとって、”アジア”がもっと近い存在になっていることでしょう。東アジア地域において、ヒト・モノ・カネ・情報が今よりも更に活発に動いて行くことでしょう。

李登輝 著 『最高指導者の条件』

『最高指導者の条件』(李登輝 著、PHP研究所、2008年3月3日)

近所の本屋の新書コーナーに、尊敬する”李登輝”の名前を見つけて手に取ったところ、発行日が弊社の設立日と同じ2008年3月3日だったので、記念として速攻買いしました。

李登輝氏は、1980代後半~1990年代に台湾の民主化と経済発展を導いた台湾の偉大なる指導者です。今の台湾の繁栄は、李登輝氏の貢献があってのことです。

李登輝氏は、京都帝大(大学)でも学んだことのある日本通。本書の中でも、”現在の自分を形成しているのは、「もって生まれた性質」「台湾精神」「日本精神」「キリスト教」・・・・・アメリカでも高等教育を受けたが、精神面ではあまり役に立たなかった。正直にいって、アメリカの教育は現象をとらえるだけの表層的なものだ。根本的に教養を養い、精神的な価値を与えさせられたのは日本の教育である。”(P.147)と書いていらっしゃいます。(自分は存じ上げませんでしたが、氏は敬虔なキリスト教徒なのですね)。

日本人の台湾への貢献について相当評価して下さっています。明治時代、台湾総督府で民政長官を務め台湾近代化の礎を築いた後藤新平、『武士論』の著者新渡戸稲造。1999年9月21日の台中大地震の際、小池百合子議員を通して1500戸の仮説住居の提供があったこと、等等。

”日本統治時代に台湾の社会的インフラが構築されたことを正しく評価する教科書づくりに取り組んだのだ。同じ日本統治の経験をもちながら、韓国の人々はいまだきわめてアンビバレントな対日感情から脱却できずにいる。これは教育改革と大きな関係があるように思う。”(P.215)

李登輝氏は、台湾で国民党に所属、蒋介石の後を継いだ蒋経国総統時代の第二期目の副総裁に指名され就任。1988年、蒋経国前総統の急逝にともない、副総統の職位から第7代総統に昇格。1990年、その任期満了後も第8代総統として選出され就任。1996年3月に実施された初の国民による直接選挙方式による総統選挙で当選し第9代総統に就任、三期目に。2000年3月18日の総統選挙では出馬せず、民進党の陳水扁が総統選に当選し、総統の座を譲った後は、国民党を離党。

本書には、身を引き締められる言葉が随所に散りばめられていました。下記のいずれもMBAの教科書にも出てくるリーダーシップ論の基本中の基本なのですが、李登輝氏の口から平易な言葉で噛み砕いて言われると、また違った感慨があります。

① 「初期条件と目標と戦略」。”経済の発展を実現するには、まず初期条件をしっかりと把握しなければならない。初期条件を把握したら、次に目標を定める。そして、目標に対して、初期条件を基礎とする政策を決めていく”(P.75)

② ”いったん口にした言葉は、けっして言葉のままで終わらせず、必ず実行した。」(P.155)

③ 「ビジョン(構想)のあるリーダーシップ」。”「ビジョン(構想)」とは組織が発展する方向であり、組織の未来の理想である。指導者は必ずビジョンを明確に示さなければならないが、繰り返し強調しておきたいのは、ビジョンに対してコンセンサスを得ることを忘れてはならないという点だ。そうすることによって、ビジョンは全員共通のものに転化し、一人ひとりが理想の目標に向かって努力するように促す、大きな力を生み出す。さらにいえば、そういうビジョンが組織を動かす主たる原動力になるのだ。”(P.186)

本書は、今の日本の政治家にぜひ読んでもらいたい一冊です。今の日本の指導者たちが忘れてしまっている過去の日本の美徳を思い出して欲しいと思います(特に、明治時代の指導者たちの高い志)。

惜しむらくは、本書の最後の章、「台湾がめざすべき四つの分野」が不自然な形で終わってしまっており、一読者としてはもっとお話を伺った上で、本著を締めくくってもらいたかったことです。特に、台湾をAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の金融地域センターにするという構想、中国人向けの衛星メディア構想、の2つについて。

最後に、これは余談になりますが、本書には、ひょっとしてガネーシャが李登輝氏を訪れていたのかも(『夢をかなえるゾウ』ネタです)!?と思わせる一節がありました。李登輝氏が学生時代に率先して便所掃除をやっていたというクダリがあります。(P.45)

2008年4月26日 (土)

北京オリンピック聖火 in 長野

福原愛ちゃん、萩本欽一さんの時にはヒヤッとさせられました。でも、大事には到らずに本当に良かったと思います。

世界中で、中華系 vs 非中華系の軋轢が起こっています。

北京オリンピックまであと少ししかありません。見守るばかりです。

2008年4月25日 (金)

ガネーシャ様、ありがとう! 『夢をかなえるゾウ』

『夢をかなえるゾウ』(水野敬也著、飛鳥新社、2007年8月29日)

今話題のベスト・セラーです。増刷に増刷で既に11刷だそうです。著者の水野敬也さんは最近よくテレビでみかけますね。自分はあまりベスト・セラー本に飛びつく方ではないのですが、いろいろなメディアで絶賛されているのを見て、どうしても読みたくなりました。珍しいことです。読んだ人のフィードバックがことごとくプラスで、口コミで広がっているというのが自分にも作用しました。

確かに、面白い!です。

自己啓発本の部類ですけども、こういったアプローチもあるのですね。気の弱い主人公とガネーシャの世界観に引き込まれました。南アジアのインドからやって来た(という)神様のガネーシャ様、貴方の魅力にハマりました!

要するに、内容は、「自分探し」+「夢の実現化」指南なんですけど、そういった類のものって本書でも何度も指摘されているように、”過去にもたくさん出版されいて”、それなりのベスト・セラーになってるんですけど、そういった本を読んで実際に成功したっていう人を周りでお見かけしたことがないって、ははは、実際に自分も過去にその手の本を買い漁りましたが、その通りですね(笑)。

この本を読んで勇気づけられたのは、自分がスキメシで独立開業したのは間違っていなかったんだなぁ、ということ。自分は「自分探し」の作業は随分前に終わっていて、自分のやりたいことがわかっているし、後はひたすら「夢の実現」に向けて着々と行動をして行くこと!で、その時に注意していったらいいことを再認識させてもらいました。

この本って、マーケティングの真髄を突いた名言もあるので侮れません。お客の・周りの人の"Wants" や"Demands"を満たしてあげることが大事であることを再認識させられました。

いや~、ガネーシャ様、水野様、どうもありがとうございました。いつかインドに行ってみようかな(笑)。

EUは、今秋にも”EU大統領”

ちなみに、EUは、今秋にも”EU大統領”が実現するまでに地域統合が進化しています。

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080410AT2M0900K09042008.html

http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20040701A/

今、日本のメディアでは、米国の大統領選のニュースのことばかりがクローズアップされていますが、自分的には、”EU大統領”の方が歴史的な意義が大きいと思っています。

人類の新たなるチャレンジですから。

「アジア共同体 私の本音」

日経新聞の「中国・アジア面」でシリーズ化されている「アジア共同体 私の本音」。

アジア各国の知識人たちから、様々な角度から”アジア共同体”についての考えや課題が提示されています。

2008年4月21日(月)は、マレーシア経済研究所所長のモハメド・アリフ氏が登場。

一枚岩に見えるようでも、ASEAN10は経済成長の度合いによって3つのグループに分類できると。先進国4(シンガポール、タイ、マレーシア、ブルネイ)、VIP(ベトナム、インドネシア、フィリピン)、CLM(カンボジア、ラオス、ミャンマー)。

それだけ経済格差のある10カ国を内包しているASEAN。ASEAN内だけでも統合を維持するのは大変なはず。ましてや、そのASEAN10に日本・中国・韓国(+アルファの構想もあり)を加えて東アジアの地域統合をして行こうという試みはかなりのチャレンジです。

ローマは一日にしてならず、EUも一日にしてならず。東アジアもいずれ?

北京オリンピック聖火が羽田に到着

本日先ほど、北京オリンピック聖火がChina Airlineで羽田に到着した模様。

パキスタンのイスラマバード(4月16日)→インドのニューデリー(4月17日)→タイのバンコク(4月19日)→マレーシアのクアラルンプール(4月21日)→インドネシアのジャカルタ(4月22日)→オーストラリアのキャンベラ(4月24日)とアジアを通ってきた北京オリンピックの聖火がとうとう日本入りしました。日本での動向を世界が注目していることでしょう。

予定通りであれば、この後、日本の長野(4月26日)→韓国のソウル(4月27日)→北朝鮮の平壌(4月28日)→ベトナムのホーチミン(4月29日)→香港(5月2日)→マカオ(5月3日)と通過して行くはずです。

2008年4月24日 (木)

マカオぴあ、本日発売になりましたが。。。

「マカオぴあ」が4月24日に発売ということで、発売日1日前の夕方だったら入荷しているかな?と思って、昨日のうちから有楽町の大型書店を回ってみていたのですが、最近の書籍流通はスゴく正確なんですね、発売日当日の朝にしか入荷されて来ないとのことで、昨日は入手することが出来ませんでしたが、本日ようやっとゲットしました。

発売日前のセールス・ポイントの一つに、”現地のイベント情報満載”という謳い文句があったように記憶していたので、これを楽しみにして買いました。今、全日空が、「週末は海外という時代が来た!」という宣伝文句で海外格安航空券を売り出しているので、「マカオぴあ」を見て香港に行くかぁ!と意気込んでページを1枚、1枚めくって行きました。

しかーし、え?え?え?現地のイベント情報って、見開きでたったの1ページ?!残りは他の旅行雑誌と同じだし、しかも、ページ作りがスカスカだし。。。

日本版「ぴあ」のような内容を期待していたのに、これは肩透かしでした。次号はもっとイベント情報”満載”にしてもらいたいです。。。

嬉しいお便り

本日、嬉しいことがありました。

弊社のHPとブログをご覧になられた方から、人材募集の問い合わせを頂きました。東アジア関連の仕事を探されていてインターネットで検索していたら弊社のHPとブログがヒットしたとのことで、熱心に読んで下さったようです。有難いことです。

弊社も他社同様にShort Term/Middle Term/Long Termそれぞれのステージで、ビジョンと戦略を変えて参りますが、Middle(中期)の段階では業務を拡大させるとともに人材も補充する計画です。

その時には、今回お便りを下さった方のように、東アジアへの情熱のある方々と一緒に仕事をしたいと思っています。やはり、パッションのない方は仕事も続かないと思いますし、自分としても一緒に切磋琢磨し合い、刺激し合える仲間の方が嬉しいです。

そんな仲間と一緒に仕事が出来る日が一日でも早く来るように、今のShort Term期間、会社の基礎工事をしっかりとやりたいと思います。

2008年4月23日 (水)

サミットを中国が率いる日

2008年4月22日(火)の日経新聞朝刊の1面に、衝撃的な見出しを見つけました。「野村社員、インサイダー容疑」の左側にあった「漂流ニッポン」というシリーズの中の見出しです。

「サミットを中国が率いる日」

衝撃的なのは見出しだけでなく、内容の方も、”「金は出すが顔が見えない」とやゆされた日本に「金も出せないし顔も見えない」時代が迫っている”と。世界銀行の次期チーフエコノミスト兼副総裁に欧米人以外では初めて中国・北京大学教授の林毅夫が就任、また、世界保健機構(WHO)事務局長に香港人のマーガレット・チャンが就任、いずれも日本が長い間狙っていて実現しなかったポジションに次々と中華系の人材が就任していると。

お寒い限りでございます。3年後、5年後の日本の姿を具体的に想像できている日本人はどのくらいいるものでしょう?日本国内でいがみ合っている場合ではないですね。早いとこ先手先手を打って動いていかないと、明るい未来はないですね。。。

『アジアの都市間競争 東京は生き残れるか』

『アジアの都市間競争 東京は生き残れるか』(小林正彦著 日本評論社 2008年1月15日)

今年になって発行された本です。160ページほどで平易な言葉で書かれているのでサラリと読めます。

冒頭、人工衛星が写し出した”アジアの(夜の)光”から始まるのですが、これが面白い!1989年の写真では、東アジアでは日本と韓国ぐらいしか光を発していなかったのが、最近の衛星写真だと中国大陸の沿海部とタイ・マレーシア・インドネシアからも強い光が発せられるようになっています。この10年強で東アジア各国で近代都市化が進んだ結果なんですね。

20世紀後半、東京は世界の三大都市の一つとしてゆるぎない位置にいました(ニューヨーク、ロンドンとともに)。アジアの顔と言えば、今までは間違いなく東京でした。しかし、そうも言っていられないゾ、東京はこれからしかるべき手を打っていかないと、追い上げて来ている他の東アジアの都市にその座を奪われてしまうゾ、というのがこの本のベースになっています。

もう一つ興味深いものとして、「GaWCの世界都市一覧」という表があります。GaWCは、ラフバラ大学を中心とした「グローバル化と世界都市研究グループネットワーク」の略だそうです。世界の122都市を対象に、会計・法律・広告・銀行の4機能につき、首位中心地に3ポイント、主要中心地に2ポイント、マイナー中心地に1ポイントを与えて、4分野合計で1から12ポイントまでのスコアを付けて先の122都市をランキングするという作業をしたそうです。その結果が下記の表です。(そのうち、東アジアの都市だけをピックアップしました)

<アルファ世界都市>

12:東京 (他、ロンドン、パリ、ニューヨーク)

10:香港、シンガポール (他、ロサンゼルス、ミラノ等)

<ベータ世界都市>

9:東アジアは該当なし (アムステルダム、ボストン等)

8:東アジアは該当なし (マドリッド、ブリュッセル等)

7:ソウル (他、モスクワ)

<ガンマ世界都市>

6:ジャカルタ、大阪、台北 (他、アムステルダム、ボストン等)

5:バンコク、北京 (他、ローマ、ストックホルム等)

4:KL、マニラ、上海 (他、アトランタ、バルセロナ等)

<世界都市形成の兆候がみられる都市>

3:東アジアは該当なし (他、ムンバイ、ニューデリー等)

2:ホーチミン・シティ (他、アテネ、カイロ等)

1:広州、ハノイ (他、ベンガル、コロンボ等)

指標として面白いなと思いましたが、これは1999年のデータで今となっては古いですし、また、ポイント化・指標化の対象が会計・法律・広告・銀行の4分野だけでいいのだろうか?という疑問も残ります。

東アジア諸都市の発展は2000年以後に劇的な変化を起こしているので北京や上海はもっと上のランクになっているはずですし、また対象分野にしても交通インフラなども指標化した方がより有用なのではないかと思います。

本書の論は、上記リストで上位3位に入っている東アジアの3都市、東京・香港・シンガポールを3T(Talent人財力, Technology技術力, Tolerance寛容力)の3つの視点で比較分析し、各都市の課題を探り、最終的には、東京が生き残って行くにはどうしたらよいか?という論を展開しています。東京が弱いもの、それはTolerance寛容力、具体的には、外国人の登用、異質なものを受け入れること、だそうです。逆に、香港・シンガポールは、外国人を受け入れることによって発展している、と。ナルホド。

あと、本書が指摘しているのは、世界そして東アジア地域における中華ネットワークの強大化です。日本が弾き出されてしまう可能性も指摘されています。

我々日本人は、これからもう少し危機感をもって世界に臨まないとなりませんね。幕末~明治時代の篤姫や西郷さんのように。

2008年4月22日 (火)

東アジアの中のイスラム

自分がイメージしている東アジアは、東は日本・韓国ライン、北は中国・モンゴル、西はタイ・ミャンマー、南はシンガポール・インドネシアに囲まれた地域です。

歴史的に中華文化の影響を受けてきた地域です。ただ、この地域、歴史の積み重ねで、多様性・多重構造になっています。

2008年4月21日(月)の日経新聞の中国・アジア面に、「アジアのイスラム諸国」「中東マネー流入相次ぐ」「インドネシア 発電所など計画」「マレーシア 商業施設に出資」という記事が載っています。

インドネシアは世界有数のイスラム教国。中東地域の各国それぞれよりも信者の数が多いとか。それもそのはず、ベースとなる人口数が大きいですから。

東アジア地域では、その他、マレーシア、フィリピン南部、ブルネイにイスラム教徒が多く住んでいます。イスラムの発祥地、ユーラシア大陸の西から海路・陸路にて東アジア地域の西・南部に入って行ったのですね。

今流行のイスラム・マネーが、こういった東アジアの中のイスラムに親和性のある国々に流れ込んで来ているようです。

ただ、非イスラム国においても、今やイスラム・マネーは非常に大事です。日本においてもイスラム・マネーを呼び込む努力がなされています。今週になって日本株が上昇傾向にありますが、イスラム・マネーも貢献していることと思います。

世界の経済パワーが分散化しています。米国一極集中の時代は確実に終わりを告げつつあります。

アジア宇宙協力 加速

2008年4月21日(月)の科学面には、「宇宙機構」「アジア宇宙協力 加速」「タイなどと小型衛星開発へ」「”きぼう”で共同開発も」という見出しが躍っています。

地域統合のスピルオーバー理論では、周縁部の統合の積み重ねがやがて核心部への統合に繋がって行くということを説いています。

アジアにおける科学技術面での協力のケースは今後も増えて行くと思います。アジアの災害対策に人工衛星を活用する「センチネル・アジア」プロジェクトというのが2006年に試行的に始められていたとのことですが、本格的に動き出したそうですね。いい例だと思います。

ただ、宇宙開発については、国防の領域もからむので、一筋縄では行かないところもあるはず。振り子のように進展して行くことでしょう。

イ・ミョンバク韓国大統領の来日

2008年4月21日(月)の日経新聞朝刊で、2つの大きな広告が目に付きました。

SAMSUNGとLGの1面広告です。いずれもイミョンバク大統領来日を記念した広告となっています。

■12面 SAMSUNG

- メイン・キャッチ: 未来を創る、友。

- サブ・キャッチ: 私たちは知っています。異なるものとの交流や融合がお互いを高めあい、新たな価値を生み出すことを。

- ボトム: 李明博大統領の来日を心より歓迎いたします。

- ビジュアル: 和服 + チマ・チョゴリ

■32面 LG

- メイン・キャッチ: ともに拓いていく新しい未来

- サブ・キャッチ: 李明博大統領の訪日を心から歓迎いたします。

- ボトム: 今日、両国は協力を基にした新しい時代の幕開けを迎えます。より深い信頼と友情により、両国がともに発展し、未来へと飛躍していくことを心より願っております。 

- ビジュアル: 富士山 + Nソウルタワー(南山タワー)

・・・日韓新時代を予感させます。実際、来日での話合いでは、日韓EPA(経済連携協定)締結に向けて6月に予備協議を持つなどの骨子が発表されており、滑り出しは良いようです。李大統領は、MAN OF ACTIONの印象があります。以前は敏腕経営者であったということが頷けます。

日韓の緊密な協調体制は、2国間だけではなく、東アジア地域全体の安全と更なる発展に貢献することでしょう。

2008年4月21日 (月)

大学路からの韓流

THE NIKKEI MAGAZINE 4月号に「大学路(テハンノ)からの韓流」という特集がありました。

ソウルの大学路(テハンノ)が、若者文化の発信地として紹介されています。演劇のメッカなんですってね。

東京の下北沢といった感じでしょうか。洋の東西を問わず、若者が多く集まるメトロポリタン都市では自然発生的にこういった場所が生まれるんですね。アジア各国でも経済力を付けたメガ・シティではきっと同じように若者のメッカ的な場所が生まれているはずですね。台北のxxxx、香港のxxxx、上海のxxxx、バンコクのxxxxというように。そこから発信される文化メッセージ、楽しみです。

アジア知的財産権シンポジウム2008

2008年4月17日(木)の日経新聞24面~26面は、「アジア知的財産権シンポジウム2008」広告特集でした。

今回第10回目のテーマは「注目されるアジア-知的財産の成長-」で、「中国における知的財産権保護の実態について」というパネル・ディスカッションも開かれたようです。

エンタメ・コンテンツ・ビジネス業界にとっては非常に重要な問題です。お飯(まんま)の食い上げですから。せっかく知的生産をしたとしても、次から次に違法コピーをされてしまって、お金が入って来ないようになってしまうと、ミュージシャンや映画制作者などのアーティストは創作活動を止めてしまうかもしれません。実際に中華圏では音楽を作るのを止めてしまった大物アーティストが出ているとか。。。人類にとっても深刻な問題です。

こりゃ大変だ! 次世代ネットテレビ

2008年4月16日(水)の日経新聞朝刊の第1面トップ記事に、「次世代ネットテレビ」「国際共通規格、年内にも」「電気通信国連機関 世界の番組 視聴可能」の見出しが!

一視聴者としては、大歓迎。世界のテレビ番組が、タイムリーに自宅で観られるわけですから。

でも、弊社のようなコンテンツ・ビジネスを生業とする会社にとっては安穏とはしていられないニュースなんです。日本のユーザーが海外のコンテンツをダイレクトに観られるということは、日本での配給やライセンス業務の仕事が必要なくなるかもしれないということでもあります。海外のテレビ局や映画会社が日本語字幕も付けて世界に向けて配信するとしたら、確実にそういう状況になるのではないかと想像します。

コンテンツ流通の革命となるでしょう。

今でも、YouTubeなどの映像コンテンツ共有サービスでその傾向は出ていますが、それが更に進むことになります。

コンテンツのビジネスで生き残って行くのは、著作権を持つコンテンツを制作して保有する会社だけになって行くことでしょう。流通だけを担当してる会社は苦しい立場に追い込まれて行くことでしょう。こういった事態を視野に入れて戦略を考えていかなければなりません。こりゃ大変だ!の所以です。

北京オリンピック聖火、アジア入り

先週のことですが、2008年4月17日(木)の日経新聞朝刊に聖火リレーのアジアでの日程が掲載されていました。

パキスタンのイスラマバード(4月16日)→インドのニューデリー(4月17日)→タイのバンコク(4月19日)→マレーシアのクアラルンプール(4月21日)→インドネシアのジャカルタ(4月22日)→オーストラリアのキャンベラ(4月24日)→日本の長野(4月26日)→韓国のソウル(4月27日)→北朝鮮の平壌(4月28日)→ベトナムのホーチミン(4月29日)→香港(5月2日)→マカオ(5月3日)。

聖火リレーは、行く場所・行く場所で、チベット問題に直面しています。オリンピックは政治とは一線を画すとされつつもこの状況は避けられそうにもないでしょう。

一方で怖いのは、昨日報道された中国人の全世界レベルでの抗議運動。中国大陸で、フランスのカルフールがチベットに資金援助を送っている”ようだ”ということに端を発したカルフールへの不買運動。また、米国CNNのニュース・キャスターが中国人に対して不適切な発言をしたことに端を発する米国系中国人の抗議運動。波紋が広がっています。全世界レベルで、中華系住民との軋轢が大きくなってしまっているこの最中、北京オリンピックは本当に大丈夫か?と誰もが心配していると思います。うーん、本当にどうなってしまうのだろう、というこの時に、聖火リレーが日本入りしますが、日本でも長野の善光寺が同じ仏教系だという主張で聖火入りを拒みましたね。オリンピックとともに、今後の日中関係の行く末もどうなって行くことでしょう。北京に向けて準備を進めているスポーツ選手は毎日複雑な気持ちで事の行く末を見守っているはずです。

2008年4月16日 (水)

HP効果!? 海外クライアントから問い合わせ

先日、弊社HPのトップ・ページに英語版・中国語版を加えましたが、その効果が早速出たようです。

中国大陸で有名な巨大WEBメディア、TOM.COMから問い合わせが来ました。興味深いです。

中台間 7月から直行便

2008年4月15日(火)の日経新聞朝刊14面に目を引く記事がありました。

「中台間 7月から直行便」「台湾・馬次期総統が関係改善策」「週末チャーター便で観光客受け入れ」「中国、主権問題 前面に出さず」「交流拡大 ”経済”に軸足」

先の「博鰲(ボーアオ)アジア・フォーラム」の折に行われた中台会談効果が早速出ているのでしょうか。

確かに中国からの旅行客が台湾に来るその経済効果は大きいと想像します。日本の銀座で高級ブランドを買い漁っている中国人の団体を見ているとそう感じます。

中台両岸地帯の今後の関係変化は、日本を含む東アジア・リージョン全体にも変化をもたらすことでしょう。でも、今の親日台湾がジャパン・パッシングになって行くようなことは想像したくないものです。。。

2008年4月14日 (月)

中台会談 @ボーアオ・アジア・フォーラム

2008年4月13日(日)の日経新聞によると、中国・海南省で開催された「博鰲(ボーアオ)アジア・フォーラム」に参加するために現地入りしていた中国主席と台湾次期副総統が会談をもったとのこと。”馬政権”としては中国側と初の接触。

両岸交流が進むか今後注目です。

『越える文化、交錯する境界 トランス・アジアを翔るメディア文化』

『越える文化、交錯する境界 トランス・アジアを翔るメディア文化』(岩渕功一編、山川出版社、2004年3月25日)

エッセイのごとく読めました。全8章からなる本ですが、各章のページ数がそれほど多くないんです。それもそのはず、本書はもともと、「アジアを交錯するメディア文化」という講演(独立行政法人国際交流基金アジアセンター主催の2003年度第1期アジア理解講座)がベースになっていて、もともと、時間制約のある講演で時間内に簡潔に話をまとめなければならないという環境にあったからだと思います。

内容の方ですが、いろいろ考えさせられることがありました。

『変容するアジアと日本』、『トランス・ナショナル・ジャパン』、『グローバル・プリズム』では、日本のポピュラー・カルチャーがどのようにアジアで受容されて行ったのかがテーマになっていましたが、『越える文化、交錯する境界』では、東アジア各国からの情報発信にもテーマが及んでいます。

「序章」は岩渕氏によるものですが、”アジアの文化交通”は、あくまでも、”東アジア”の”都市間”(香港・台北・ソウル・東京・シンガポール・バンコク・上海など)の交通に限られているということを再認識しました。以前は、漠然と、東アジアの全般的な文化交通を思い描いていましたが、あくまでも都市部の比較的裕福な若者のあいだのものであること。そういう意味では、偶然にも、弊社アジア・リパブリック・エンターテインメントがHP(http://asia-republic.com/)で掲げている理念と一致しています。

第三章の「タイの歌はきこえてくるか?」は3つの意味で興味深かったです。一つ目は、エンタメ文化がトランス・ナショナル化して来ている東アジア地域において、タイ・ミュージックは自国より外に越境できていないこと(お隣のラオス・カンボジア・ミャンマー、いわゆるタイ・バーツ圏においてはカバー曲として流出はしているそうだが、受容国側ではタイ・ミュージックと認識されていない)、2つ目は、そういった状況下で越境の可能性のあるタイ・ミュージックは、歴史的なタイの民族音楽「ルークトゥン」ではなく、洋楽ポップス的な「ストリング」であろうと認識されている点、最後の3つ目は、タイ人が日常生活で「アジア」という言葉をほとんど使わないということ、「アジア」をあまり意識していないようだという点です。日本や中華圏で、「アジア」とか「亞州」とか常に使われているのとは対照的ですね。

第四章「東アジア・テレビ交通のなかの中国」では、韓国と台湾のテレビドラマが中国大陸で人気を博していった経緯が理解できて面白かったです。中国では日本よりも先に、”韓流”や”華流”が起こっていたようですね。

第五章「”韓国マンガ”という戦略」では、韓国産マンガが国境を越えて東アジア地域・ヨーロッパにも輸出され・流通し・ある程度の成功を収めていたことを知りました。これに対し、韓国の”韓流”(中国語読み”ハンリュウ”)を文字って”漢流”(中国語読み”ハンリュウ”)と呼ばれた中華圏から韓国へのポピュラー・カルチャーの流入活性化の動きがあったらしく、台湾産のマンガが韓国市場への参入にトライしたことがあったようなのですが、これはあまりパッとしなかったようですね。

第六章「円環の外へ 映像にみるアジア・沖縄へのまなざし」では、日本人が”沖縄”を見る視線として、”アジア”がちょっと昔の日本を思い出させてくれる&癒しを与えてくれるという視線で”見ている、という指摘にハッとさせられました。沖縄のアイデンティティについては軽んじてはならない問題だと思いました。

第八章「ベトナム系住民とディアスポリック・メディア消費 越僑社会の文化交通とポピュラー音楽」では、世界に”離散”(ディアスポラ)したベトナム人が、華僑に見られるような”越僑”ネットワークで世界的につながっていること、改めて認識しました。そして、日本においても、品川の「メコンセンター」などが中心となって”越僑”たちを結び付けている、というのが発見でした。

東アジアのいろいろなプレイヤーが様々な形で情報発信をしていて、流通経路もあって、情報自体は流れているわけですね、我々日本人の周りに。あとは、どう意識して・どう拾って行くか?ということなのでしょうね。お互いに隣人のことをもっと理解できたら、良いリージョンが形成されて行くことでしょう。

2008年4月12日 (土)

『シネマ突貫娘』

『シネマ突貫娘』(篠原弘子著、扶桑社、1998年11月22日)

この本も、昨晩書棚を整理していた時に出て来た一冊です。あの1990年代に大ヒットしたウォン・カーワイ監督の香港映画『欲望の翼』、『恋する惑星』、『天使の涙』、『ブエノスアイレス』の配給を日本で仕掛けたプレノン・アッシュ社長の篠原弘子さんの著作です。

本日、一気に読み返しました。元気を頂きました!そして、自分はある決断をしました。感謝です。

実はこの本、篠原さんのサイン入りです。自分の名前も書いてもらっています。そこには篠原さんの直筆のメッセージとして「夢の力。」と書かれています(写真を添付しました)。このメッセージに自分は更に突き動かされました。頑張りたいと思います。

実は、前職のワーナーで、香港映画の『君を見つけた25時』(原題「毎天愛你8小時」)を買い付けたことがあるのですが、その時に配給をお願いしたクロックワークスさんの方と一緒に篠原さんの事務所を訪問をして宣伝アドバイスを頂きに伺ったことがありまして、その時に篠原さんの本を予め買って持って行ってサインをいただいたんです。憧れの方でしたのでとても嬉しかったです。

今、再び読み返して、1990年代のムーブメントを思い起こすとともに、あのブレイクの背景には、篠原さんの映画へのパッションと努力があってこその賜物だったのだと再認識いたしました。見習うところ大です。頑張れ、自分。

Photo

「東山魁夷」展 @東京国立近代美術館

日経ヴェリタス購読者プレゼントで招待状が当たったので、昨日観に行って来ました。「東山魁夷」生誕100周年の企画です。http://higashiyama-kaii.com/index.html

東京国立近代美術館なんて、実に久しぶり。20年ぶりぐらいでしょうか。

子供のころ絵を描くのが好きだったので、中学・高校と美術部に所属していましたが、中学の時の美術の先生(兼美術部の顧問)が大変素晴らしく、授業では大学なみの美術史の講義をしてくれたり、また、美術部の顧問としても部員をいろいろな美術館に連れ行ってくれました。東京国立近代美術館もその一つです。その他、上野の国立西洋美術館、都立美術館、国立博物館、ブリヂストン美術館などにも連れ行ってもらったのを覚えています。(こういった経験が映画業界に入るキッカケになったのでしょうね)

「東山魁夷」の絵は中学だか高校だかの国語・美術の教科書に「道」とか「円山公園の桜」とか「白馬」が紹介されていたのを覚えていますが、東山巨匠のあの風景画の作風は好きでした。白の絵具の使い方が素晴らしいんです。空気感、空気の表現、光の表現が素晴らしいんです。

巨匠のこの3作、それから、巨匠が唐招提寺の襖絵を手掛けたことは新聞・ニュースでは知っていましたが、実物は見たことがなかったので、一度じっくりと観てみたいと思っていましたが、今回その夢が叶いました。(しかも無料招待で)

襖絵は圧巻でした。唐招提寺の畳の部屋を再現して襖絵を一列に並べ立ててあります。奈良になかなか足を運べるわけではない東京の人はこれを機にご覧になったらいいと思います。

巨匠の絵と展覧会の構成に感銘を受けましたので、帰りがけに「東山魁夷」の画集を購入しました。画集の出来も非常に良かったです。2300円はリーズナブルに感じます。

『変容するアジアと日本 アジア社会に浸透する日本のポピュラーカルチャー』

『変容するアジアと日本 アジア社会に浸透する日本のポピュラーカルチャー』(五十嵐暁郎編、世織書房、1998年2月27日)

先に紹介した3冊(『トランス・ナショナル・ジャパン』(2001年)、『グローバル・プリズム』(2003年)、『越える文化、交錯する境界』(2004年))を遡ること3年も前の1998年の著作です。

昨晩、自分の書棚を何気に整理していたら、この本が出て来ました。数年前に買って読んでいた本です。本を開いてみたら、ピンクの蛍光ペンでいっぱい線が引いてありました。当時、真剣に読んでいたようです(笑)。

軽く読み直してみたところ、発見がありました。目次を見ていたら再び”岩渕功一”氏の名が!「文化的無臭性 それともアジアンモダイニティーの芳香? 東アジア市場への日本の文化輸出」という題の論文です。内容的には、『グローバル・プリズム』の序章に書かれていたこととほぼ同じなのですが、有用な情報・事例が豊富で、しかもコンパクトにまとめられています。

本書は、『グローバル・プリズム』同様に、複数の著者の論文によって構成されています。時代としては1980年代の動向、内容的にはドラマだけではなくマンガ/アニメやJ-POPもカバー、そして、ケース・スタディ的には東アジア各国(タイ、韓国、台湾、シンガポール、中国)だけでなくエジプトと沖縄が入っています。

読み返してみて面白いな~と思ったのは、1985年の「プラザ合意」が節目となっていたこと、すなわち、それを契機に始まった急速な円高と日本の経済パワーに乗って(いわゆるバブル期)、日本のエンタメ・コンテンツ(マンガ/アニメ/トレンディ・ドラマ)が東アジアじゅうを席巻して行っていたということ(この現象、自分が大学に在籍していた華のバブル時代にアジアで起こっていたことなんですネ)、それから、東アジアの数カ国において(沖縄・タイ・韓国・台湾など)、20世紀はJapanization(戦前)⇒Americanization(戦後)⇒Japanization(バブル期)の経緯があったことです。1950年代~アメリカのテレビ・ドラマに憧れた時代を経て、1980年代~90年代には日本のトレンディ・ドラマに憧れる時代を経、今度はそれぞれの国でオリジナルのドラマ(韓流なり華流なり)が作られて行くようになった、というような流れです。

メディア技術的にも、各国での”地上波放送”だけしかなかった時代から、国境を越えてのサービスが可能な”衛星放送”技術が生まれ、エンタメ文化が越境・クロスするようになって行った1980年代~90年代でした。つまり、国境を越えた複数国の視聴者がリアル・タイムで同じエンタメ・コンテンツを享受できる環境になって行った時代でした。トランス・ナショナル/融合の契機です。

今や、時代は2000年代、2008年です。”インターネット”の普及で越境はフツーのことですし、”YouTube”の登場で映像コンテンツの消費のされ方にも革命が起こっています。時間と空間がどんどん短く・近くなって来ています。”日本”という”ローカル”の殻の中だけでは既に完結しない時代、(かと言って”グローバル思考で”といっても広すぎるかもしれませんので)少なくとも”リージョン”レベルの範囲は意識して物事を考えて行かなければなりませんね。

「東京ラブストーリー」が東アジアに与えたインパクト ~ 『グローバル・プリズム<アジアン・ドリーム>としての日本のテレビドラマ』

『グローバル・プリズム <アジアン・ドリーム>としての日本のテレビドラマ』(岩渕功一編、平凡社、2003年8月25日)

300ページあるこの本、一昨日から読み始めて、あっと言う間に読み終わりました。それほど面白かったです。

岩渕功一氏の前著『トランスナショナル・ジャパン ~アジアをつなぐポピュラー文化~』(岩渕功一著、岩波書店、2001年2月26日)は抽象的・哲学的な話が本の半分を占め、遅々として読書が進まないわりに、情報量が少なかったのとは違って、本書は具体的事例が多く、東アジア各国におけるケース・スタディが豊富で(香港・台湾・中国大陸・シンガポール・韓国・オーストラリア。残念ながら、台湾とシンガポールの章は他国の分析視座とズレてしまっているが。。。)、実務上役に立つ情報の量が多く、しかも、まるでエッセイを読むような感覚でサクサク読めました。本書で岩渕氏は「序」の部分を執筆されていますが、前著のエッセンスが凝縮されていて、これを読めば前著をすべて読む必要がないほどポイントがまとまっていて良かったです。

それにしても、あの「東京ラブストーリー」が東アジア各国にかように多大な影響を与えていようとは!「東京・・・」が当時日本で放映された時、それまでのトレンディ・ドラマとは違ってかなりのインパクトがありましたが、それが国境を越えてブレイクしていたなんて!このドラマが東アジア各国でどのように受容されていたのかは非常に興味深かったです。あの、香港の衛星テレビ局”STAR TV”が中華圏で初めて「東京ラブストーリー」を放映したのがキッカケだったのですね。

その当時、媒体・メディアとして”VCD”(後に”インターネット”)が果たした役割、それから、中華圏のトランス・ナショナルな流通ネットワークが果たした役割。

すなわち、<ローカル>で生まれた日本のトレンディ・ドラマは、”VCD”(後に”インターネット”)という媒体・メディアに乗って、東アジア<リージョン>レベルでは台湾・香港⇒中国・マレーシア・シンガポール・インドネシア・タイへと拡散し、<グローバル>的にも、トロント・ロンドンなどのチャイナ・タウンで流通・消費されて行った・・・という動線は目からウロコものでした。

1990年代、こうやって東アジア各国で大ブレイクした日本のトレンディ・ドラマは、各地のエンタメ・メディア産業にドラマ制作のベース”種子”として撒かれ、それが2000年代になって東アジア各国、特に韓国・台湾で”芽”吹いて、韓流・華流というムーブメントにつながった、という感じでしょうか。トランスナショナルに相互作用しているんですね。

この本の最終章は、オーストラリアの大学教授の論文でしたが、興味深かったのは、「”オーストラリア”と”アジア”の距離は、いまだに文化的観点において明らかに離れている。オーストラリアは、いまだに”西洋”・・・」「私はアジアに住んでいないので・・・」という表現でした。これは、東アジアの地域統合が及ぶ範囲を考える上で重要なポイントとなるでしょう。

2008年4月10日 (木)

タイ-ベトナム 定期トラック輸送 日本ロジテムが週一往復

2008年4月9日の日経新聞朝刊13面に、「タイ-ベトナム 定期トラック輸送 日本ロジテムが週一往復」という記事が掲載されていました。

『KILLING FIELD キリング・フィールド』という映画を覚えていますか?インドシナ半島のラオス・カンボジアは、東アジア地域の中で、最後まで冷戦の爪痕が残って開発が遅れていた地域ですが、ようやっと。

地域統合では、ヒト・モノ・カネ・情報の頻繁な行き来が観察されますが、このインフラとして、特にモノ・ヒトの部分で、幹線道路の整備は欠かせません。日本の円借款などで作られたインドシナ半島の「東西回廊」は、インドシナ半島の安全のシンボル、地域連携の動脈として貢献して行くことでしょう。

日中韓大学提携 アジア人向け人工関節を開発

2008年4月9日付け日経新聞夕刊第1面中央に、「日中韓大学提携 アジア人向け人工関節を開発」という記事が掲載されていました。

名古屋工業大学が、中国の上海交通大学、韓国の世宗大学などと協力して、”アジア人に適した”人工関節を共同開発するそうです。

現在、人工関節のほとんどは欧州からの輸入に頼っているものの、”アジア人特有の姿勢・骨格”には合っていないようで、輸入後にローカライズするコストが割高になっているとのこと。

逆に、アジア人同士にはPROXIMITYがあるということですね。

「地域統合論」には、「スピル・オーバー理論」というのがあります。簡単に言いますと、まずは周縁部分から連携・統合を進めて、そういった事例が増えると、自然、徐々にコアな部分にも統合が”及んで行く”という考え方です。EUの進化の軌跡もそれの繰り返しで。

政治のコアな部分では東アジア主要国の思惑を一致させるのはまだまだ難しい状態だと思いますが、周縁部から徐々に、市民・民間レベルで出来ることから徐々に連携する事例が増えて行くといいですね。

2008年4月 9日 (水)

『グローバル・プリズム<アジアン・ドリーム>としての日本のテレビドラマ』

『グローバル・プリズム <アジアン・ドリーム>としての日本のテレビドラマ』(岩渕功一編、平凡社、2003年8月25日)

昨日の夜からこの本を読み始めました。

実は香港・台湾に出張する前に、Amazonでアジア市場・アジアメディアに関する本を5冊買っていました。タイトルと目次と書評で選んだこの5冊、今気づいたら、そのうち3冊が同一の筆者・編者でした・・・岩渕功一氏。アジア・メディア研究の第一人者であられるようです。

ちなみに、この3冊を時系列的に並べてみますと下記のようになります。

- 『トランスナショナル・ジャパン ~アジアをつなぐポピュラー文化~』(岩渕功一著、岩波書店、2001年2月26日)

- 『グローバル・プリズム <アジアン・ドリーム>としての日本のテレビドラマ』(岩渕功一編、平凡社、2003年8月25日)

- 『アジア理解講座③ 越える文化、交錯する境界 トランス・アジアを翔るメディア文化』(岩渕功一編、山川出版社、2004年3月25日)

後者2冊は岩渕氏は編者の立場、そして内容的には”韓流”が登場しています。

もう一つ、アジア・メディア関連の書籍でいうと、「AISA!華流!台流!C-POP!」でご紹介した一冊も付け加えると2005年までカバーされます。

- 『東アジアのメディア・コンテンツ流通』(菅谷実編、慶応義塾大学出版、2005年3月31日)http://asien.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/4_06f2.html

1990年代~2005年までの東アジアのメディア市場の変遷・歴史を振り返る旅、結構楽しんで読んでいます。

2008年4月 8日 (火)

『トランスナショナル・ジャパン~アジアをつなぐポピュラー文化~』

『トランスナショナル・ジャパン ~アジアをつなぐポピュラー文化~』(岩渕功一著、岩波書店、2001年2月26日)

最近、2週間もかかって読んでいた本です。遅々としてページが進みませんでした。というのには理由があります。本のサブタイトル”アジアをつなぐポピュラー文化”や目次の章立てにあった”アジア文明と日本のポピュラー文化”、”アジア文化外交-使命としての日本文化輸出-”、”グローカリゼーション-日本メディア産業の東・東南アジア戦略-”、”文化的近似性・近時性-台湾「日本偶像劇」の受容から-”、”日本におけるポピュラーアジア消費”というコトバに惹かれて読み始めたものの、本の前半部は抽象的・哲学的な話ばかりで、しかも繰り返しが多く、まずはそこでスピードダウン。後半部ではやっと自分が聞きたかった具体的事例の話が出てくるも、事例や情報量は少なく、深いケース・スタディでもなく。

また、もともと出版が2001年2月26日とあって、1990年代の話であって、2000年代に出てきた”韓流”や”華流”の話はまったく扱われておらず、チト期待に反し肩透かしでした。ただ、1990年代の東アジアの動きを振り返る意味で、懐かったです。事例として出てくるのが「東京ラブストーリー」の台湾・香港でのヒット、ディック・リー、「アジア・バグース!」、王家衛(ウォン・カーワイ)、「恋する惑星」、上海パフォーマンスドール、などなど。

温故知新。こういった1990年代の動きがあってこその2000年代です。1997年、香港が中国に返還され、中国経済が急速な発展期に入り、また、タイ・バーツの暴落に始まり東・東南アジアが経済危機に見舞われましたが、それから既に10年が経っているわけです。歴史は日々作られています。アジアは益々輝いて行くことでしょう、ということで。

2008年4月 7日 (月)

「マカオぴあ」 創刊!

あの「ぴあ」が、4月下旬より、「マカオぴあ」を創刊するそうです(隔月刊)。http://www.pia.co.jp/pia/release/2008/release_080324.html

アジアのみならず世界のエンターテインメント・センターとして、「マカオ」のポジショニングが急浮上しています。日本からの観光客も右肩上がりとか。

「マカオぴあ」では、日本人観光客向けにマカオの旅行・イベント・エンタメ情報を発信してくれるようで、創刊号が非常に楽しみです。きっと、内容を読んだらマカオに行きたくなってしまうんでしょうね~。全日空が、「ついに来た、週末は海外という時代」と銘打って、”超”格安航空券の発売を開始したので、相乗効果でもってゴールデンウィークはマカオに行く日本人観光客がいっぱい増えるのでは?

でも、気をつけなければなりません。5月上旬は、中華圏も”黄金週”です。ホテル争奪戦は凄まじいことでしょう!

弊社HPに English, 繁体中文, 簡体中文 が加わりました。

弊社HPに English, 繁体中文, 簡体中文 が加わりました。http://asia-republic.com/

21世紀、東アジアの時代。グローバルには英語、リージョンでは中国語、ローカルには日本語、という考えをHPとして表現してみました。

簡体中文はWINDOWSのバージョンによっては文字化けしてしまう人もいらっしゃるかと思いますが、これもプログラム修正をかけますので、じきに解消されるかと。

中文原稿は一度自分で書いたものを、昔習っていた中国語の先生にチェックしてもらいました。やはり自分はまだまだ上級ボキャブラリーはダメだな、と痛感しました。先生の文章は流石!

英文の原稿は自分のものそのままなので、ちょっと心配。中文のレベルと開きが出ていることでしょう(笑)。

2008年4月 4日 (金)

羽田-香港 ”定期便” 就航

全日空が4月1日から羽田-香港の”定期便”を就航させましたね。

ソウル、上海に続いて、香港へのフライトが楽になります。アジア主要都市への距離がどんどん近くなりますね。後は、台北便もぜひ羽田便を実現化して欲しいものです。。。昔は羽田だったですしね。

前回エバ航空を使った時には、ターミナル1の47ゲートという一番遠い場所での発着で、成田への移動と成田内での移動だけで疲れました。”気軽に行けるアジア”のインフラ作りを政府には進めて欲しいもんです。

2008年4月 3日 (木)

テレビ・シリーズのスクリーニング、空振り三振は悲しい。。。

テレビ・シリーズのスクリーニング(内容チェックの試写)は、最初の2~3話を観て大体の判断が付けられるものですが(ヒドイものだと第1話の最初の10分ほど観ただけでNGを出しますし)、自分の場合、非常にコンサバなので、最初の2~3話で良いと思っても、一応最終話まで観てから判断するようにしています。日本のドラマは11~13話で完結しますからチェックは1日ちょっとの苦労で終われるでしょうが、アジアのドラマの場合、韓国にしろ台湾にしろ20話以上はザラですのでスクリーニングも大変です。かなり根気の要る作業になります。

最後まですんなり観れたならそれは「買い」のジャッジになります。ただ、反対に、最後の最後まで引っ張られたのに最後に裏切られるというケースもあります(めったに起こることではないのですが)。

今回、それが出てしまいました。

最初の6話ぐらいまでは良かったんです。その後から話がマンネリになり、でもスレスレOKラインだったのですが、最後の3話で大幅にマイナス、みたいな。

こういう時は本当にガックリです。せっかく人気スターが出ていても、内容がお粗末だと、やはり手は出せません。。。せっかく時間をかけたスクリーニングも無駄になってしまいます。作品選びはやはり難しいです。。。

DM ダイレクト・メール

会社を設立してからというもの、会計サービスやら文房具宅配サービスやらのDMが複数送られて来るようになりました。

新会社の登記情報をどっかで入手しているんでしょうね。積極的な営業活動に関心する一方、やはり情報入手経路のことが気になります。

いずれにせよ、弊社の会計サービスは税理士の友人に、そして、文具は歩いて3分ぐらいのところにある100円ショップで購入していますので。。。(笑)。

2008年4月 1日 (火)

本日より4月度。起業して、あっと言う間の1ヶ月。

時間過得真快!3月3日(月)に会社を設立してからアッと言う間に1ヶ月が経ってしまいました。本当に時間が経つのが速いです。

昨日・今日は、香港・台湾出張時に入手したスクリーナーのスクリーニングに勤しんでいます。当タリもありますし、ハズレもあります。映画・テレビドラマはやはり完成品を観ないとわかりません。ポスターや予告編は良く出来ているのに、本編を観ると「?」というような作品はザラにあります。気を付けなければいけません。

来週は会計の先生と初の月度の打ち合わせ。学ぶこと多しです。

それから、HPをやってくれた友人から、英語版と中国語版を加えたら?というアドバイスをもらい、その原稿を準備中。アジア志向ならではの弊社をうまく表現できればと思います。今週末の公開予定です。

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